三条大橋 ~旅情溢れる東海道五十三次の終点~
2009年 03月 18日
1日目は主に大阪に、3日目は主に大阪と生駒にいたのですが、2日目は昼前から夜まで、ほとんど京都におり、京阪本線の三条駅や祇園四条駅などで何度か電車を乗り降りしながら、河原町二条から四条河原町にかけての河原町通や、四条河原町から八坂神社にかけての四条通、木屋町通、祇園界隈をブラブラと散策しました。
そのため、必然的にその一帯の橋も何度か渡ってきました。具体的にいうと、鴨川に架かる三条大橋や四条大橋、高瀬川や白川に架かるいくつもの小橋などです。
しかし、それらの中でも最も風情がある橋は、やはり三条大橋です。
下の写真を見てもお分かりのように、三条大橋は古都に相応しく古めかしい佇まいを見せる、実に情緒溢れる橋です。
また、新選組の名を一躍有名にさせた池田屋騒動の舞台となった池田屋や、坂本龍馬の率いた海援隊が本部を置いた酢屋、その他多くの藩邸は三条大橋の周辺にあり、そのため幕末期にはこの界隈で、命懸けで日本の歴史を塗り替えた先人達の活躍が多く見られました。
現在でも、土下座している姿で有名な江戸時代の勤皇思想化・高山彦九郎の像、東海道中膝栗毛の主人公・弥次さんと喜多さんの像(下の写真参照)などが三条大橋のすぐ近くにあり、また橋の木造欄干の擬宝珠には池田屋騒動の際に付いたとされる刀傷が残っています。
ちなみに、石川五右衛門が釜ゆでの刑に処せられたり、豊臣秀次の一族が非業の死を遂げた刑場も、三条大橋の袂の三条河原でした。
現在の三条大橋は昭和25年に架け替えられたコンクリート製の橋ですが、このように歴代の三条大橋は数々の“歴史の瞬間”に立ち会ってきた、とてもドラマチックな橋でもあるのです。
ところが、今こうして今改めて、三条大橋を見たり渡ったり写真を撮ったりすると、「何て風情のある佇まいの橋なんだろう!」と思います。
その場所の良さはその場所を離れてから初めて気付く、と云われますが、まさにその通りかもしれません。