京都中心部を流れる高瀬川に架かる橋やその周辺景色
2013年 07月 29日
高瀬川は、水運によって京の中心部と伏見を結ぶため、江戸時代に嵯峨の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が鴨川を分流して開いた運河で、大正時代に文豪・森鴎外が著した小説『高瀬舟』などで全国的にもその名が知られている川です。
但し、水運は大正9年を最後に行われておらず、現在の高瀬川は、私が住んでいる札幌でいえば鴨々川や創成川くらいの水量の、小さな川です。
ちなみに、高瀬舟とは、水深の低いこの川専用に造られた、底が平たく舷側の高い小舟の事で、最盛期には一度に百数十艘もの高瀬舟がこの川を航行していたそうです。
高瀬川を航行する高瀬舟の荷物のあげおろしをする船溜所「船入」は、高瀬川に9か所造られましたが、下の写真3枚はいずれも、その船入のひとつ「一之船入」です。
一之船入は、江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として、史跡に指定されています。
川の両岸に植えられた柳の景観は、この辺り一帯の情緒の大きな要素となっています。
「いくら小さな川とはいえ、水面から30~40cm程度の高さの所に窓・テラス・換気扇が設置されているってどういう事?川の水量が増す事を全く考慮していないのでは?もし川が増水したら、床上浸水確実じゃん」と。
高瀬川の水は鴨川にある取水口から取り入れられているので、鴨川の増水時は、取水口にあると思われる水門なり弁なりで常に適切に水量を調節しているのかもしれませんが、しかし、もし鴨川が増水した時に機械的・物理的な故障、電気的な故障、人為的なミスなどでそういった設備が正常に動作しなくなったら、その時はどうなるのでしょうか。
多分、今まで一度もそういった事がなかったからこそ、高瀬川周辺の建物は、川が増水する事を想定した造りにはなっていないのでしょうが、しかし今後もずっとそういった事態が起こらないという保障はないと思うのですが…。
それとも、高瀬川が増水した時にだけ使われる、増水した水を逃すための秘密の地下水路とかでもあるのでしょうか?
もし高瀬川が増水したらどうなるのか、という疑問を一度京都在住の人に訊いた事もあったのですが、その時は、「まぁ大丈夫なんじゃないの」と軽く流されてしまいました(笑)。