橋の被災状況からみる阪神淡路大震災の激しさ
2010年 01月 17日
激震によってビル・マンション・民家などは一瞬のうちに倒壊して瓦礫となり、そしてその瓦礫はなすすべのない住民達を容赦なく襲い、黒みを帯びたオレンジ色の炎は街を焼き尽くし、阪神高速道路は横倒しになり、鉄道の高架や駅舎も無残に崩れ落ち、海上都市のポートアイランドは液状化現象により泥水に覆われ、ガス・水道・電気・電話などのライフラインもズタズタに寸断されました。
日本の「耐震工学神話」は脆くも崩れ去り、最終的には死者6,434人、負傷者約44,000人、全半壊家屋512,882棟、被害総額推定10兆円もの甚大な被害を出す、関東大震災以来最悪の大惨事となりました。
しかし、建物の倒壊や火災などで辺り一面焼け野原となった被災地も既に復興を果たし、今では震災の痕跡はほとんど残されていません。
私は平成14年4月~16年3月までの2年間、京都府八幡市で生活していたため、その2年間の滞在中、何度か神戸にも足を運びましたが、その時ですら、震災の痕跡を探すのは困難な程、神戸の街並みは整然と復興されていました。
最近では、住民の入れ替わりが進んでいる事や、震災を知らない若い世代が増えてきている事などから、被災地ですら“震災の記憶”の風化が進でいるといわれています。
震災の記憶をこれ以上風化させないためにも、今日は改めて、当時の写真(橋脚や橋桁などの崩落写真)で阪神淡路大震災の激しさと被害の甚大さを振り返ってみたいと思います。
震災以前、神戸市の地域防災計画では震度5の地震までしか想定していませんでした。
この写真は、阪神淡路大震災の激しさを象徴する光景にもなりました。
この時、新幹線はここを走っていなかったため、幸いにして鉄道乗客の犠牲者はゼロで済みましたが、もし震災発生時に新幹線がここを走っていたとしたら、「良くても脱線、悪くすれば転覆、最悪の場合転落して密集する民家をなぎ倒しながら…」という事態になっていました。