彦根城の廊下橋 ~敵の侵入を防ぐ機能を備えた橋~
2009年 12月 05日
私は、彦根城はてっきり「平城」だと勝手に思い込んでいたのですが、実際には、山としての標高は低いながらも彦根城は「山城」に近い、高台にそびえるお城で(正確には「平城」と「山城」の間の位置付けである「平山城」という形式なのだそうです)、気温が31℃で湿度も高めという状況下、私は彦根駅から徒歩でお城まで行き、表門からは汗だくになりながら山道や石段を登り、天守閣では、江戸時代初期に造られただけあってバリアフリーなんて概念は全く無い(笑)ほとんどハシゴに近い急傾斜の階段を昇って、何とか最上階の天守まで辿り着きました。
お陰様で、彦根城ではかなりの体力を消耗しましたが、いい思い出にもなりました(笑)。
彦根城は、徳川家康の家臣中、四天王の一人に数えられた井伊直正の子・直継が築いたお城で、以後、徳川譜代大名の筆頭井伊家歴代のお城となるのですが、豊臣家との合戦に備えて急ピッチで築城されたお城であるため、天守閣は大津城、太鼓門櫓は佐和山城、西の丸三重櫓は小谷城、天秤櫓は長浜城などからそれぞれ移築されて完成した、かなり急ごしらえのお城です。
しかし、戦災等により失われる事なく今日まで残されているため、戦国のお城の姿を今に伝える貴重なお城として、三層三階の天守閣は、今日では国宝に指定されています。
空濠(通路にもなっています)を跨ぐようにして鐘の丸から天秤櫓の門へ架けられている木製の橋で、もともとは橋に覆い屋根と壁がつけられていた事から、廊下橋の名で呼ばれています。
この橋にかつて屋根や壁が設けられていたのは、城の防備のために城兵の移動を敵方に知られないようにするためだったそうです。
なお、この橋には「落とし橋」としての機能もあり、非常時にはこの橋を落下させ、敵の侵入を防ぐ事ができるようになっていました。
天秤櫓は、上から見ると「コ」の字形をしていて、両端に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く構造があたかも両端に荷物を下げた天秤のように見えるため、天秤櫓と称されています(但し厳密には左右対称ではありません)。
ちなみに、天秤櫓は重要文化財に指定されています。
御覧のように、城郭建築の構造物に相応しい、情緒溢れる美しい橋です。