高架橋を走る六甲ライナーとポートライナーから望む正面展望動画
2014年 04月 05日
先月下旬、関西(主に天橋立や大阪など)を旅行した際、神戸にも立ち寄ってきたのですが、神戸では、東神戸港に浮かぶ総面積580haの人工島「六甲アイランド」や、神戸の都心・三宮からは目と鼻の先にある神戸港内に浮かぶ総面積826haの人工島「ポートアイランド」、そのポートアイランド沖の南約1kmに浮かぶ「神戸空港島」などの、各人工島にも行ってきました。
これら三島のうち、六甲アイランドと本土は「六甲ライナー」という新交通システムで、ポートアイランドや神戸空港島と本土は「ポートライナー」という新交通システムでそれぞれ結ばれているため、今回はこれらの新交通システムも利用してきました。
新交通システムというのは、鉄道の一種に分類される交通機関であり、その定義はいろいろあるのですが(広義と狭義の定義とでも意味が異なってきます)、ここでは、「自動運転により、高架上の専用軌道を案内軌条に従ってゴムタイヤで走行する、中量輸送の旅客輸送システム」とさせて頂きます。
この定義に基づく国内の代表的な新交通システムとしては、前出のポートライナーや六甲ライナーの他、東京の「ゆりかもめ」や「日暮里・舎人ライナー」、埼玉の「ニューシャトル」、横浜の「金沢シーサイドライン」、大阪の「ニュートラム」、広島の「アストラムライン」などが特に知られています。
私が今回、神戸でまず最初に乗った新交通システムは、六甲ライナーです。
ポートライナー同様、路線の全線が高架橋(そのため駅も全てが高架駅)で、まず、起点の住吉駅から終点のマリンパーク行きの列車に乗り、六甲アイランドのほぼ中央に位置するアイランドセンター駅で一旦下車しました。そして、駅周辺を少し散策してから、再びアイランドセンター駅からマリンパーク行きに乗車しました。終点のマリンパーク駅では改札からは出ず、そのまま直ぐ折り返して住吉行きの列車に乗りました。
下の動画は、私がマリンパークから折り返して乗った住吉行き列車の、マリンパーク~アイランドセンター間で、先頭車から撮影した正面展望です。
展望を著しく妨げる程ではなかったものの、御覧のようにこの時は小雨が降っていました。
そして、六甲ライナーに乗った翌日は、神戸から札幌へと帰るため、神戸市中心部の三宮駅から神戸空港駅まで、ポートライナーに乗りました。
下の動画は、私が三宮から乗った神戸空港行き列車の、ポートターミナル~中公園間で、先頭車から撮影した正面展望です。
真っ赤なアーチ橋は、ポートアイランドと本土を連絡する神戸大橋です。私の隣に座っていた親子の会話がそのまま収録されてしまっているのは御容赦下さい(笑)。
港湾地区を走る高架橋からの見晴らしは、見応えがあって個人的には結構好きです。
そういえば、やはり港湾地区を走る、東京モノレールからの車窓も私は好きです。
旋回橋 ~日本三景の天橋立に架かる可動橋~
2014年 03月 25日
天橋立とは、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる、全長3.6kmに及ぶ砂州で、古代より奇勝・名勝として知られてきました。
神話(風土記)によると、イザナギノミコトという神様が天に通うために梯子を作って立てたため「天の橋立」という名になり、その梯子がイザナギノミコトの寝ている間に地上に倒れて現在の姿になったとされています。
その天橋立の南端で、面白い橋を見てきました。
大橋立と小橋立を結ぶ橋で、一見、よくある“和風のちょっとお洒落な橋”ですが、実はこの橋、船がここを航行する度に90度回転する可動橋なのです。
この旋回橋は、以下の地図(天橋立の広域図と拡大図)上の、赤線の円で囲まれている場所に架橋されています。
警報機や遮断機等は無く、橋の北側に操作室が設置されているだけなので、遠くから一見するだけでは旋回橋とは気づき辛いです。
旭橋 ~かつては軍都としての、今は川のまちとしての旭川の象徴~
2014年 02月 26日
この橋は、優美なアーチ曲線を描く全長225m・橋幅18mの鉄橋で、その美しくも力強い姿から旭川のシンボルとして市民から広く親しまれており、現在は同市の南北を結ぶ重要な交通路(国道40号)の一部にもなっています。
初代旭橋が架橋されたのは明治37年で、北海道では2番目の鋼の道路橋でしたが、老朽化に伴い、昭和7年に、鋼鉄製のアーチ曲線を描く現在の旭橋が架橋されました。
ドイツから輸入した高張力鋼を使い、当時の最新技術を以て建設され、昭和31年までは、市内電車もこの橋の上を走っていました。
また、旭川から戦地へと赴く軍人の多くは第七師団から旭橋を渡って出征して行き、当時は、軍都としての旭川を象徴する橋としても知られていました(そのため師団橋とも呼ばれていたそうです)。
昭和7年に竣工してから80年以上が経った今も現役の橋として使用されている程の、強靭な構造を持つ橋ですが、それは、当時の旭川が師団司令部の置かれていた軍都であった事に起因します。
戦車などの重量物の通行を可能とし、戦時には橋脚が攻撃されても崩落に耐え得る必要性から、旭橋は、当時としては考えられる限りの最新の技術を惜しみなく投入して建設されたのでした。
なお、かつてはこの旭橋と、札幌の豊平橋、釧路の幣舞橋の三橋が、道内でも特に優美な橋として「北海道三大名橋」と云われていましたが、そのうち現在も架橋当時の姿をそのまま残しているのは旭橋だけです。
現在の旭橋は、貴重な産業遺産として「北海道遺産」や「土木学会選奨土木遺産」にも選定されており、また、旧旭川偕行社(国の重要文化財)や平和通買物公園(日本初の恒久的歩行者天国)などと共に「旭川八景」のひとつにも数えられています。
江島大橋 ~島根と鳥取を結ぶ急勾配の橋~
2014年 01月 21日
私もまだ実物は見た事がないのですが、最近、島根県と鳥取県を結ぶ「江島大橋」が、車のCMに取り上げられた事から話題になっています。下の動画がそのCMです。
江島大橋は、平成9年に着工し平成16年に開通した、全長1.7km(うち橋梁部は1.4km)の長いPCラーメン橋で、勾配はかなりキツメの6.1%です。
そびえ立つ坂のような姿は、まるでスキージャンプ台のようで、CMの中では、アクセルを踏みっぱなしにしなければならない事から「ベタ踏み坂」と呼ばれていました。
下の写真は、いずれもネットで拾った江島大橋の写真です。
こういった事から、江島大橋は、中浦水門(中海・宍道湖淡水化事業の中止に伴い現在は撤去されています)の代わりの交通路として造られ、急勾配になったのは、大型船舶の通航を確保するためです。
写真を見ると、まるでCGのような光景ですが、勿論本物です。
実際、自転車で登るのは相当大変そうですが、ただ、写真を撮る角度によっては空に向かって一直線に伸びている事から相当急に見えるものの、普通の車でちゃんと上り下りが出来るくらいですから、有り得ない程急勾配というわけではないようです。
PCラーメン構造の橋としては、浜名湖の浜名大橋を抜いて東洋一で、世界でも3番目の長さを誇ります。
私も一度、この橋を車で走ってみたいです!
平成二十六年 年頭挨拶
2014年 01月 01日
輝かしい新年を迎え、その年頭に当り、全国各地に架橋されている全ての橋 および橋を維持・運用する各種システムの安全と、橋の建設・維持に関わる人達やいつもこのブログを読んで下さる読者様の御健勝・御多幸を、心よりお祈り申し上げます。
今から16年前の平成10年、我が国の皇后陛下は、国際児童図書評議会ニューデリー大会に寄せられたビデオ講演の中で、「橋」を比喩として、以下のように語られました。
「生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います」
このおことばに触れた時、私は「何て美しいおことばなんだろう」と率直に感動しました。
私はこのおことばをしっかりと受け止め、本年は特に、自分と周囲との間に、例え小さく細くても、堅牢で耐久性が高く、決して一方通行ではない橋を、沢山架けていきたいと思っております。
何事にも未熟でまだまだ不勉強な私ではありますが、本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。
平成二十六年 西暦二千十四年
元旦