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丁度20年前の今日、平成7年1月17日、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡の深さ16kmを震源とするマグニチュード7.3の激震が関西地方を襲いました。淡路島北部の野島断層など六甲・淡路島断層帯の一部が動いた大型地震で、神戸市や淡路島の一部などでは震度7を記録しました。

都市部を襲った直下型だったため被害は大きく、死者6,434名(そのうち災害関連死による死者は919名)、行方不明3名、負傷者43,792名、全半壊家屋合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊家屋390,506棟、被害総額は9兆9,268億円(国予算のほぼ1割の規模)という甚大な被害が出ました。
その「阪神・淡路大震災」から20年という節目の今日、改めて、震災で亡くなられた方々の御霊(みたま)の安らかなる事、心よりお祈り申し上げます…。

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ところで、阪神・淡路大震災を引き起こす事となったこの「1995年(平成7年)兵庫県南部地震」の震源地は、前述のように、淡路島北部沖の明石海峡でした。つまり、当時建設中であった、淡路市と神戸市を結ぶ世界最長の吊り橋「明石海峡大橋」のほぼ真下が震源であったという事です。
地震発生時、明石海峡大橋では、既に主塔の設置は完了しており、当時は、吊り橋にとっては主塔と共に最も重要な要素であるメインケーブルの架設(張り渡し)を終えた段階で、建設は佳境に入っておりましたが、幸いにして、震源直上であった割には橋は大きな被害は受けませんでした。とはいえ、全く何の影響も受けなかったわけではありません。

地震後直ぐに行われた点検では、橋の構造上の異常は見つかりませんでしたが、計測の結果、中央径間の広がりと、橋台が移動している事が分かりました。この移動は、基礎がずれた事が原因ではなく、大地震により、地盤自体が動いた事によるものでした。つまり、地震により、本州と淡路島の間が1m広がったのです。
幸い、この1mの広がりは未製作の桁のパネルの長さを調整する事で対応でき、その後の詳しい解析でも橋に大きなダメージは見つからず、震災から3年後の平成10年に、明石海峡大橋は無事開業を迎える事ができました。

以下の3枚の写真は、上から順に、平成7年1月(地震発生直後)、同年12月、翌平成8年10月に、それぞれ上空から撮影された明石海峡大橋です。

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建設当初の明石海峡大橋は全長3,910m、中央支間1,990mでしたが、主塔と主塔の間が1m伸びた事により、完成した同橋は全長3,911m、中央支間1,991mとなりました。
国内史上初の震度7を記録した兵庫県南部地震に耐え抜き、阪神・淡路大地震という未曾有のアクシデントをも乗り越えて完成した明石海峡大橋は、直下で発生したその地震によって、図らずも橋の全長が1m伸張する事になったのです。


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by bridgelove | 2015-01-17 21:18 | 本四連絡橋 | Comments(0)

平成二十七年 年頭挨拶

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謹 賀 新 年

輝かしい新年を迎え、その年頭に当り、全国各地に架橋されている全ての橋 及び橋を維持・運用する各種システムの安全と、橋の建設・維持に関わる人達やいつもこのブログを読んで下さる読者様の御健勝・御多幸を、心よりお祈り申し上げます。

日本最古の橋は、記録に残っているものとしては、日本書紀の仁徳天皇十四年の条に「冬十一月、猪甘津(いかいのつ)に橋を為(わた)す、即ちその處を号(なず)けて小橋と曰う」と記されている猪甘津橋とされています。第16代・仁徳天皇の御代(西暦320年代)に、現在の大阪市生野区の桃谷付近に建設されたようです。

その猪甘津橋建設から凡そ1690年が経つ本年、私は改めて、このブログ開設時の原点に立ち返って、橋の本質に着目し、つまり橋には、人や車両の往来、物流のための物理的な構築物であるという事以外に、人の心と心を結ぶ機能もあり、私にとっていろいろな意味で人生の大きなターニングポイントとなる本年、私は橋が持つその本質に肖って、昨年に引き続き、自分と周囲との間に、例え小さく細くても堅牢で耐久性が高く、決して一方通行ではない橋を、沢山架けていこうと思います。

何事にも未熟でまだまだ不勉強な私ではありますが、本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

なお、貼付の写真は、今回の記事の内容に因み、昨年10月に私が大阪府堺市で参拝・撮影してきた仁徳天皇陵(百舌鳥耳原中陵)の正面拝所風景です。よく知られているように、仁徳天皇陵は日本最大の古墳でもあります。

平成二十七年 西暦二千十五年
元旦


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by bridgelove | 2015-01-01 04:18 | その他 | Comments(0)