前回の記事で書いたように、私は今月中旬、東京方面を旅行してきたのですが、旅行2日目の早朝は、横浜市にあるJR鶴見駅から鶴見線(横浜市と川崎市に跨って京浜工業地帯の臨海部を走る路線)の電車に乗って、同線の支線の終点・海芝浦駅に行ってきました
下の写真は、その海芝浦駅のホームから眺めてきた、三径間連続鋼斜張橋の「鶴見つばさ橋」です。
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鶴見つばさ橋は、首都高速湾岸線の扇島と大黒埠頭とを結んでいる、御覧のようにとても美しい斜張橋で、横浜ベイブリッジと共に横浜を代表する橋のひとつです。
中央径間長(510mm)は、本州四国連絡橋多々羅大橋、名古屋港の名港中央大橋に次いで斜張橋として日本国内第3位、また、全長(1020m)は一面吊りの斜張橋としては世界一の長さを誇ります。

逆Y字型の主塔の高さは(海面から)183m、海面から路面までの高さは57m、車線は往復6車線で、主塔の高さ・全長共に横浜ベイブリッジを凌いでいる巨大な橋です。
昭和62年1月に着工し、平成6年12月に開通しました。
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by bridgelove | 2011-10-31 21:13 | 東北・関東の橋

今月中旬、私は2泊3日の日程で東京方面を旅行してきたのですが、折角なので、都内の橋もいくつか見学してきました。
それらの橋の中でも特に私の印象に残ったのは、旅行2日目に見学してきた、東京都中央区の日本橋川(神田川の支流で、神田川から分流し隅田川に合流する、都心を流れる延長約4kmの一級河川)に架かっている、橋長49m・全幅27mの「日本橋」です。

決して大きな橋ではありませんが、日本の道路網の基点になっている事から昔から東京を代表する橋のひとつに数えられている橋で、JR東京駅の八重洲口から歩いて、この橋を見学しに行ってきました。
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江戸に幕府を開府した徳川家康は、五街道となる東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道を整備し、1604(慶長9)年から、それら五街道の起点を日本橋と定め、それ以降日本橋は交通の要所となり、日本橋周辺は陸路の中心地になると同時に、江戸湊から江戸中心部へと物資を運ぶ日本橋川との接点である事から水運の中心地にもなり、日本橋の周辺には問屋や各種商店、有名な大店(おおだな)が軒を連ね、江戸の商業の中心地として発展していきました。
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明治44年、当時の東京市によって架橋された、19代目となる現在の日本橋は、花崗岩(かこうがん) の 御影石を用いた、樺島正義氏設計の二連アーチ橋で、照明や銅像の装飾は建築家 妻木頼黄氏によるデザインの青銅製で、国の重要文化財に指定されているだけあって堂々とした風格が感じられる、重厚な橋となっています。
とはいえ、高度経済成長期に急速に整備された首都高速道路が用地買収の手間を省くため水路の上空に沿って建設された事から、現在の日本橋は首都高速にすっぽりと覆われてしまっており、残念ながらその景観にはあまり風情は感じられません。
しかし、江戸時代の日本橋は、江戸の中でも特に賑やかな場所としてよく風景画の題材にされ、浮世絵などにも多く描かれました。

ちなみに、五街道の中でも最も重要な街道とされた東海道の起点は、前述のようにこの日本橋ですが、終点は、一昨年3月18日付の記事で紹介させて頂いた、京都の三条大橋です。
安藤(歌川)広重の代表作として知られる浮世絵木版画の連作「東海道五十三次」でも、一番最初の絵は日本橋で、一番最後の絵は三条大橋となっています。
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上の写真は、日本橋の車道のど真ん中(センターライン上)に埋め込まれている「日本國道路元標」です。
明治になってからも、東京の道路の始点は江戸時代を踏襲して日本橋とされ、ここに道路元標が設置されました。

下の写真は、その道路元標を更に拡大したもので、このプレートに刻まれている文字は、時の総理大臣 佐藤栄作氏による書です。
なお、道路元標は日本橋北詰の歩道側にも設置されていますが、歩道のほうにあるのはレプリカで、本物はこの写真に写っている、車道にあるほうです。
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現在、この日本橋を起点としている国道は、1号(終点は大阪市)、4号(終点は青森市)、6号(終点は仙台市)、14号(終点は千葉市)、15号(終点は横浜市)、17号(終点は新潟市)、20号(終点は塩尻市)の計7本です。
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by bridgelove | 2011-10-25 06:39 | 東北・関東の橋

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前回の記事で書いたように、私は今週、函館に行ってきたのですが、その帰り、室蘭に立ち寄って、室蘭のランドマークにもなっている白鳥大橋(全長1,380mの自動車専用道)を渡ってきました。
白鳥大橋については、過去の記事(下記URL)でも何度か紹介させて頂きました。
http://bridgelove.exblog.jp/7817083/
http://bridgelove.exblog.jp/8283089/
http://bridgelove.exblog.jp/8740267/


今回は、白鳥大橋を走行中、初めて動画を撮影してみました。以下がその動画です。
画像が多少ブレているのは御容赦下さい。






ちなみに、以下はユーチューブでたまたま見つけた動画なのですが、白鳥大橋については、このような見方・評価もあるようです。
私も過去の記事で指摘しましたが、室蘭が今後大きな発展を遂げない限り、この橋の存在意義はいずれ大きな問題として問われる事になると思います。


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by bridgelove | 2011-10-07 18:36 | 北海道の橋

一昨日、函館市の椴法華地区(函館市に吸収合併されるまでは椴法華村だった地区)で開催された研修会に出席するため、私は函館に行ってきたのですが(仕事を休んで行ってきた訳ではないので出張の扱いです)、自宅のある札幌からは鉄道やバスではなく自分の車で行ってきたため、函館市内では少し寄り道をして、函館の湯の川から、恵山まで、海岸線に沿って国道278号を走ってきました。

そして、その道路を走行中、車窓から見えたのが、下の写真の、重厚な雰囲気を持つコンクリート製アーチ橋です。
津軽海峡を挟んで対岸に本州の下北半島がはっきりと望める、汐首岬のすぐ近くにありました。
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この8連のアーチ橋は、戸井線という、国鉄の鉄道未成線の遺構です。
戸井線の一部区間は函館市に払い下げられ、一般道、遊歩道、緑道などとして今も使われていますが、このアーチ橋とその前後の区間は、他の用途に転用される事もなく60年以上もずっと放置され続け、傷みも激しく、崩落している箇所もある事から、残念ながらこのアーチ橋は、貴重な産業遺跡や遺構というよりは、もはや単なるコンクリートの残骸といってもいいような、かなり酷い状態です。

戸井線は、昭和12年に、函館本線の五稜郭駅と、戸井町(現函館市)に建設が予定されていた戸井駅との間を結ぶ鉄道(29.2km)として建設が始まったのですが、全線の9割もの路盤を完成させていたにも拘わらず、戦争中の資材不足等により昭和18年に工事が中断されてしまいました。
戦後、北海道と本州を結ぶ青函トンネルの建設計画が具体化した時には、東ルート案(函館から東に進んで戸井町から海底下を通って下北半島へと連絡する案)では戸井線区間を通る事になっていたため戸井線の建設工事再開が期待された事もあったのですが、結局、西ルート(函館から西に進んで福島町から海底下を通って津軽半島に連絡する案)での建設が決まったため、戸井線の建設は再開される事なく、建設工事は正式に中止となってしまいました。
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上の写真は、このアーチ橋の一部を拡大した写真なのですが、御覧のように、一部が崩れています。
鉄が不足していた戦時中に建設されたため、戸井線の橋やトンネルは、木筋コンクリート製、竹筋コンクリート製などとも云われており、もともと耐久性にも問題があるのです。
もっとも、仮に鉄筋コンクリート製で、手抜きされる事なく造られていたとしても、補修される事もなく、常に海からの潮風が当たるこのような場所に半世紀以上も放置されていれば、どのみち著しい老朽化は避けられなかったでしょうが。

橋のすぐ下には民家や国道があり、しかもその国道は学生の通学路としても使われている事から、もしこの橋が、全壊とはいかなくても半壊しただけで、多数の死傷者が出る懸念があり、そのためこの橋は、完全に取り壊すか、もしくは補修した上で保存するか、早急にどちらかの方針を採る必要があると思われます。
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上の写真は、前出のアーチ橋の少し先で見つけた、別のアーチ橋で、これも戸井線の遺構のひとつです。
先程のアーチ橋に比べると規模は小さいですが、この橋のすぐ下にも民家や国道があり、やはり危険である事には変わりないです。

個人的には、補修工事を施した上で産業遺産として保存をして貰いたいですが、工事の財源や、工事の工法など、それを実現させるためのハードルは結構高そうです…。
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by bridgelove | 2011-10-05 22:57 | 北海道の橋