15年前(平成7年)の今日、午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の大地震(観測史上初の震度7の激震)が、150万都市神戸を中心とする兵庫県南部(阪神地区)や、淡路島などを直撃しました。

激震によってビル・マンション・民家などは一瞬のうちに倒壊して瓦礫となり、そしてその瓦礫はなすすべのない住民達を容赦なく襲い、黒みを帯びたオレンジ色の炎は街を焼き尽くし、阪神高速道路は横倒しになり、鉄道の高架や駅舎も無残に崩れ落ち、海上都市のポートアイランドは液状化現象により泥水に覆われ、ガス・水道・電気・電話などのライフラインもズタズタに寸断されました。
日本の「耐震工学神話」は脆くも崩れ去り、最終的には死者6,434人、負傷者約44,000人、全半壊家屋512,882棟、被害総額推定10兆円もの甚大な被害を出す、関東大震災以来最悪の大惨事となりました。

しかし、建物の倒壊や火災などで辺り一面焼け野原となった被災地も既に復興を果たし、今では震災の痕跡はほとんど残されていません。
私は平成14年4月~16年3月までの2年間、京都府八幡市で生活していたため、その2年間の滞在中、何度か神戸にも足を運びましたが、その時ですら、震災の痕跡を探すのは困難な程、神戸の街並みは整然と復興されていました。
最近では、住民の入れ替わりが進んでいる事や、震災を知らない若い世代が増えてきている事などから、被災地ですら“震災の記憶”の風化が進でいるといわれています。

震災の記憶をこれ以上風化させないためにも、今日は改めて、当時の写真(橋脚や橋桁などの崩落写真)で阪神淡路大震災の激しさと被害の甚大さを振り返ってみたいと思います。
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▲ 震災当日(17日)に西宮市で撮影された、阪神高速道路湾岸線のアーチ橋です。橋脚の手前で道路が落下し、通行止めになりました。
震災以前、神戸市の地域防災計画では震度5の地震までしか想定していませんでした。
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▲ 震災当日に神戸市東灘区で撮影された、635mに渡って横倒しになった阪神高速道路の高架橋です。橋脚が根元から折れ、走行中の車と共に無残に倒壊しました。
この写真は、阪神淡路大震災の激しさを象徴する光景にもなりました。
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▲ 震災当日に西宮市で撮影された、崩壊した阪神高速道路の高架橋と、間一髪で転落を免れたバスです。
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▲ 震災翌日(18日)に明石市で撮影された、橋脚が崩れた山陽新幹線の高架橋です。枕木を付けたまま宙に浮いている軌道の様子から、地震の激しさが伝わってきます。
この時、新幹線はここを走っていなかったため、幸いにして鉄道乗客の犠牲者はゼロで済みましたが、もし震災発生時に新幹線がここを走っていたとしたら、「良くても脱線、悪くすれば転覆、最悪の場合転落して密集する民家をなぎ倒しながら…」という事態になっていました。
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by bridgelove | 2010-01-17 06:00 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

宇治橋の架け替えが完了

新年の御挨拶が遅くなりましたが、皆様、あけましておめでとうございます。
昨年は、拙い文章のこのブログを読んで戴き、また、このブログに対して意見・感想等も寄せて下さり、どうもありがとうございました。
引き続き、本年もどうか宜しくお願い致します!

さて、新年第1回目の記事は、三重県伊勢市の五十鈴川に架かる木造橋「宇治橋」についてです。
この橋については一昨年3月2日の記事でも紹介させて頂きましたが、再度このブログで取り上げさせて頂きます。

神宮(所謂「伊勢神宮」の事)は飛び地が多く、その境内地は伊勢市内各地に(一部は市外にまで)分散しているのですが、それらの広大な境内地の中でも最も大切で重要な神域とされているのは、「内宮」(ないくう)と称される御神殿を中心とした聖域です。
そして、その内宮への“表玄関”として機能しているのが、全長約102m、橋幅8.42mの、檜造りの華麗な宇治橋です。
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神宮といえば、1,300年もの歴史を有する「式年遷宮」(20年に1回神宮の御神殿を建て替える慣習、及びそれに関わる各種のお祭りや儀式)が有名ですが(次の式年遷宮は平成25年で、現在はその準備が着々と進められています)、実は宇治橋も、式年遷宮とは時期をずらして20年毎に架け替えられています。

今回の宇治橋架け替えは、式年遷宮を5年後に控えた平成20年7月から始まり、まず、宇治橋の少し下流に仮橋(工事期間中使用されます)が架けられ、その後、宇治橋が封鎖・解体されました。
そして、解体された跡に、宮大工13名・船大工8名を始め重機の技師達を含む総勢40名の熟練工のチームが、伝統技法の粋を尽くして新しい橋を建設し、今から2ヶ月程前の昨年11月、無事、新しい宇治橋が竣工を迎えました。
ちなみに、橋の上面を覆う敷板616枚の加工には木造船の船底を張る特殊な伝統技法が用いられる事から(敷板は、雨水を一滴たりとも橋脚へ漏らさぬよう一枚一枚入念な“すり合わせ”が施されます)、宇治橋の建設には船大工の存在も不可欠なのです。

上の写真は、先日「伊勢神宮崇敬会」から私の手元に送られてきた会報(第53号)の表紙で、手前の真新しい橋が、竣工直前の新しい宇治橋で、その奥の橋が、約11ヵ月間使用された、宇治橋よりも小規模な仮橋(長さ63m・幅5m)です。仮橋の橋脚は鉄骨製ですが欄干には木材が用いられ、和風らしい雰囲気が演出されています。
このように宇治橋とその仮橋が同時に存在するのは、宇治橋の架け替え工事期間中だけなので、2本の橋が並ぶこの風景は20年に1度しか見られません。
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上の写真も会報からの転載で、これは、昨年11月3日のの午前10時から行われた渡始式での一コマです。
渡女(わたりめ)と云われるお婆さんを先頭に、宇治橋を建設した職人さん達や神宮の神職などが、古式ゆかしい装束を着て整然と整列しながら参進する様子は、まるで時代絵巻を見ているかのような、とても雅な光景です。

なお、今回の渡始式では、古くからの慣例に倣って渡女は旧神領民(地元・伊勢市内に在住する人達)の高齢者から選ばれ、82歳の女性がその大役を務めました。
渡女の後ろには、渡女の夫と子供夫婦、孫夫婦の三世代が粛々とつき従いましたが、これは、三夫婦の長寿と和合にあやかって橋の永遠と安全を願うためと云われています。
そして、全国から選ばれた58組348人の正装した三世代夫婦も祭列に参加しました。
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上の写真も会報からの転載で、このページでは主に、宇治橋竣工の奉祝行事の様子が紹介されています。
奉祝行事としては、渡始式が行われた日の午後1時から神苑で神宮神楽が特別公開され、午後4時からは「国民総参宮」の名のもと、多くの人々が列を成して神宮を参拝し、日が落ちてからも、宇治橋のライトアップが行われたり、提灯行列が夜の参道を巡るなど、奉祝行事が続きました。
この日はおよそ10万人が宇治橋を渡って内宮を参拝し、その人数は元旦の初詣参拝者数をも上回ったそうです。
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上の写真は、会報の入っていた封筒に同封されていた、宇治橋竣工の記念品で、これは解体した旧宇治橋の古材から作られた木製のしおりです(写真はしおりの表面と裏面をそれぞれ撮影したものです)。

宇治橋は20年を経ると、敷板は凹凸が目立つようになり、橋脚は水に浸かっていたために腐食が進みますが、欄干や橋桁は鉋(かんな)をかければまだ使用できる事から、このように加工されて、無駄無く再利用されるのです。
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by bridgelove | 2010-01-07 22:01 | 神社仏閣の橋 | Comments(0)