今月の27日~29日にかけて、2泊3日の日程で関西(神戸・京都・彦根方面)を旅行してきたのですが、2日目の午前中は、世界最長の吊橋である明石海峡大橋を見学してきました。
ブリッジワールド事務局(本州四国連絡高速道路株式会社神戸管理センター)が4月~11月にかけて週4回程実施している、「明石海峡大橋ブリッジワールド」という約2時間半のツアーに参加してきたのです。
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このツアー、以前から参加したいと思っていたので、2ヶ月以上も前から予約して、とても心待ちにしていました(笑)。
下の写真は、明石海峡大橋の最寄駅である舞子駅を下車して、今回のツアーの集合場所であるJB本四高速舞子ビルへと向かって歩いている最中に撮影した、明石海峡大橋の全景です。
これからこの橋の主塔に登るのかと思うと、思わず気持ちが高ぶります(笑)。
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午前9時半、JB本四高速舞子ビル(上の写真に写っているビル)で受付が始まり、まずは「誓約書」にサインをしました。
誓約書には、以下のような事が書かれていました。
●自ら2km以上の歩行ができ、階段の昇降ができます。
●高所及び閉所恐怖症ではありません。
●飲酒していません。また、アルコールテストをされることに同意します。
●持参物(リュック等の中身を含む)を金属探知機や目視により確認されることに同意します。
●危険物・落下物(カメラ、携帯電話、貴重品を除く)となる物を持ち込みません。
●カメラ、携帯電話は主催者が用意したネックストラップに固定し、身につけられない貴重品は主催者が用意したミニリュックに入れて持ち運びます。
●着用している服装の上から主催者が用意した「ブリッジウェア」を着用するとともに、安全のため「ヘルメット」を被ります。
●万一、自らのの故意又は過失による事故などが発生しても主催者に責任を問いません。

誓約書にサインをした後は、事務局から注意事項等の説明と、明石海峡大橋建設の過程を15分程にまとめたDVD(このDVDは後でお土産として全員に配られました)の鑑賞があり、その後は、JB本四高速舞子ビルのすぐ隣にある「橋の科学館」へと移動し、そこで、明石海峡大橋を知り尽くしているツアー・リーダーから、明石海峡大橋の建設や技術に関する詳細な解説をして戴きました(下の写真参照)。
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そして橋の科学館を見学した後は、神戸側のアンカレイジ(1A)から、エレベーターで明石海峡大橋(補剛桁のある階層)へと昇りました。
まずは、補剛桁内にある「舞子海上プロムナード」(神戸側の陸地から約150m明石海峡に突出した回遊式遊歩道や、展望ラウンジ、展望広場など)の通路を歩き、途中からその通路を外れて階段を降り、このツアーの参加者しか入れない管理路へと入りました。
下の写真は、舞子海上プロムナードから撮影した管理路の写真です(屋根や壁のない通路はいずれも管理路です)。
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下の写真は、舞子海上プロムナードの通路から管理路へと降りる階段・通路の写真です。
いよいよここからは、私にとって、今まで目にした事のない未知の世界が広がります(笑)。
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下の写真は、片側3車線・上下6車線の車道(神戸淡路鳴門自動車道)の中央真下に位置する、私達が歩いた幅広管理路(幅員4.2m)です。
この通路は淡路島までずっと続いており、作業用の車も走ります。暫くはここを歩いて優雅な空中散歩を楽しみました。
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ちなみに、下の図が明石海峡大橋の補剛桁の断面図です。
このように管理路は5本あり、その中でもメインとなっているのが、中央の幅広管理路(唯一車が走れる管理路)です。
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下の写真は、格子状になっている幅広管理路の床面です。このように足下には一面、明石海峡の海が広がっています。
この写真では海面との距離がよく分からないと思いますが、海面とこの床面の間は最大で約65m(ビルであればだいたい17階前後の高さに相当します)もあるため、もし下で泳いでいる人がいたとしたら、実際には単に黒い点としてしか見えない距離です。
万一、この格子をすり抜けてしまう大きさの携帯電話や財布等をこの床に落としてしまったら、当然、永久に自分の手元には戻ってきません‥‥。
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下の写真は、幅広管理路のすぐ隣(西側)を並行している関西電力の専用通路です。
関西電力の通路のほうが、床面が格子状ではなく歩きやすそうに見えますが、その通路の下には本州と淡路島を繋ぐ8万ボルトの高圧電線が流れているため、ここは大変危険で、立入禁止となっています。
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下の写真は、幅広管理路の東側を並行しているもう一本の管理路で、その管理路の隣には真っ黒なステンレス管が2本並んで見えますが、直径45cmのその2本の管には、神戸側から淡路島へと供給されている水道水が流れています。この2本の管で一日3万トンを送水しているそうです。
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そして、神戸側のアンカレイジから管理路を約1km歩いて、いよいよ主塔(2P)に到着しました。
明石海峡大橋の主塔は2本あり、どちらの主塔も、設置ケーソン工法により築かれた巨大な円形基礎(2Pは直径80m、3Pは直径78m)の上にそびえ立ち、全長3,911mの巨大な吊橋を海上部で支えています。

主塔(2P)に着いた私達は、管理路のある17階からエレベーター最上階の98階まで、1秒間に150m進むエレベーターで一気に昇り、98階からは階段を上がって屋上に出ました。下の写真が、屋上から写したその階段です(ちなみに、この階段の蓋の開閉は電動式でした)。
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下の写真が主塔(最頂部は293m)の屋上で、ここの高さは289mあり、東京タワーの高さ(333m)には及びませんが、東京タワーの展望台(223m)よりはずっと高い位置にあり、横浜のランドマークタワー(296m)とほぼ同じ高さです。

ちなみに、主塔にはケーブルや補剛桁など約12万トンの重さが常にかかっていて、メインケーブル(下の写真で、主塔の中央から左右それぞれの斜め下方向に伸びている大きな円柱です)にかかるそれらの圧力により、主塔は全体で約25cm縮んでいます。つまり、もしケーブルを外すと(理論的には)主塔の高さは約25cm伸びるという事です。
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下の写真は、主塔の最頂部から見た、眼下に広がる神戸側の大パノラマです。
「素晴らしい‥‥!」の一言です。
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下の写真2枚は、淡路島側の大パノラマです。ここに来た人にしか見られない、大迫力の絶景です!
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下の写真は、再びエレベーターで管理路に降りてきた後に見学した、幅広管理路に接して主塔に設置されている、送気乾燥設備です。
これは、メインケーブル内部を乾燥させて錆の発生原因を取り除くためのシステムで、ここで作られた乾燥された空気は主塔内部の管を通って主塔の最頂部まで送り出され、そこからメインケーブルへと流され、メインケーブル内の湿度を常に40%以下に保ちます。
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主塔を見学した後は、再び徒歩でJB本四高速舞子ビルへと戻り、そこで、DVD、塔頂体験証、記念写真を貰って解散となりました。

約2時間半、たっぷりと明石海峡大橋を満喫でき、とても楽しかったです!
また機会があれば、このツアーには再び参加したいですね!
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by bridgelove | 2009-08-31 05:27 | 本四連絡橋 | Comments(2)

今回は、今年3月に京都を旅行した際に見学してきた、京都市内を流れる堀川に架かる「戻橋」(もどりばし)という橋を紹介させて頂きます(一条にあるため「一条戻橋」とも呼ばれています)。
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上の写真2枚が、それぞれアングルを変えて撮影した、その戻り橋の全景で、御覧のように現在は何の変哲もないコンクリート造りの普通の橋ですが、かつて平安京の北辺に位置したこの橋は、死者蘇生の伝説や鬼女退治の奇々怪々の話など、多くの伝説・迷信・謎が伝わる怪奇現象の現場として有名な橋でもあり、また、陰陽師・安倍清明所縁の橋(清明はこの橋の下に式神を隠していたと云われています)でもあった事から、今でも京都を代表する魔界スポットとして知られる橋です。
ちなみに、安倍清明を御祭神としてお祀りしている清明神社は、この橋のすぐ近くに鎮座しています。
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平安時代の延喜18年(918年)、文章(もんじょう)博士・三善清行(みよしきよつら)が72歳という、当時としてはかなりの高齢で亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってきたのですが、その時、その葬列は丁度この橋の上を通っている所でした。
鉢を自在に飛ばして物を運び、傾いた八坂の塔を一晩で戻した云われる程の法力豊かな僧であった浄蔵は、柩にすがって泣き悲しみ、「今一度父に会いたい」と神仏に熱誠を込めて祈願した所、何と父清行はその場で蘇生し、浄蔵と父子物語を交わし、その7日後、清行は再び帰らぬ人になったと云われています。
「戻橋」という橋の名は、その伝説から名付けられたと云われています。

戻橋は、現在では何事もなかったかのように大勢の人が行き交う橋ですが、戻橋という名前故、かつては、戦場に出征する時や旅行・出張に出かける時などは「無事に戻れるように」という願を掛けてこの橋を渡る人が多く、逆に結婚式の行列などは、「出戻らないように」という理由から、この橋を通る事は避けられてきました。
また、「故人が戻る事がないように」という意味から、現在でも霊柩車もこの橋は避けて通ると云われています。
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by bridgelove | 2009-08-18 06:23 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

川床(かわどこ/かわゆか)は、多くの「橋」のように川(もしくは海・湖・池・谷・道路・線路など)を乗り越えて対岸と連絡するための構造物ではありませんが、川の上に架設された構造物という意味では「橋」と共通する部分もありますので、今日は川床について書かせて頂きます。

川床とは、納涼のため川の流れに張り出して設けられた桟敷の事で、特に、京都市の繁華街を流れる鴨川の川床や、京都の奥座敷と云われる貴船の川床などが有名で、どちらも夏季にだけ開設され(毎年5月1日~9月末日まで)、京の夏を代表する風物詩となっています。
鴨川の川床は、二条大橋~五条大橋にかけての約2.5kmの川沿い(鴨川の河原を流れる小川「みそそぎ川」の上)に高さ約3mの高床式の木組みの床が並び、約90軒のお店が営業し、一方貴船の川床は、貴船川の川面のすぐ上に低い床が造られ、約20軒のお店が営業します。

今回は、「納涼床」とも称される、鴨川の川床を紹介させて頂きます。
以下が、その鴨川の川床の写真です。実に京都の夏らしい風情があります!
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鴨川の川床は、江戸時代に、裕福な商人などが中洲や浅瀬に床机を置いて趣味趣向として遠来の客をもてなしたのが始まりと云われており、寛文年間に治水工事が行われ鴨川の東西両岸に石積みの護岸ができて以降は、茶店や物売りの屋台が出現し、現在のように営業を目的とした形態が始まったようです。

京都に於ける川床の発展の背景には、冬の底冷えとは好対照を成す、京都盆地特有の夏の暑さが挙げられます。
三方を山に囲まれて風が通らず、空気に水滴を感じる程の高湿度となる夏の京都では、川床から感じられる川のせせらぎ、川面を渡る風、冴えた月明かりなどが、心に響く涼しさとして受け入れられ、また、山々を借景とした水辺の美しい風景も、人々の目を爽やかに潤してくれるものとして映ったのです。
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上の写真は、今から5年前、鴨川の川床で食事をした時に撮影した写真で、左側手前の、メガネをかけてピースサインをしているのが私です(笑)。
機会があれば、また鴨川の川床でゆっくり食事をしたいですね!
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by bridgelove | 2009-08-07 06:17 | これも橋? | Comments(0)