本州四国連絡橋の一つとして明石海峡に架かる世界最大・最長の吊橋明石海峡大橋」や、北海道の室蘭港に架かる優美な吊橋「白鳥大橋」などと共に、私が今まで見てきた各地の長大橋の中で特に印象に残っている橋として挙げる事のできる、本州(山口県下関市)と九州(福岡県北九州市門司区)とを結んでいる「関門橋」について、今日は解説させて頂きます。

下の写真が、平成18年3月に関門海峡を航行する遊覧船上から撮影した、その関門橋の全景です。関門橋は、関門海峡に架かる唯一の橋であり、本州と九州とを結ぶ日本の大動脈(背骨)の一つでもあります。
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この吊橋は、橋長1068m・最大支間長712m・主塔高(海面上)141m・桁下高(海面上)61mの、1日約8万台の通行が可能な全6車線の自動車専用橋で、完成当時は東洋一長大な吊橋でした。
関門国道トンネルの激増する自動車交通量(年約800万台)を緩和するため、昭和43年に関門自動車道の一部として起工し、5年5ヶ月の工期を経て昭和48年に完成した橋で、山口県側では中国自動車道に、福岡県側では九州自動車道にそれぞれ接続しています。

なお、建設費が割高なためと、並行する一般道の国道2号線(関門国道トンネル)と交通量を適正配分する必要性から、関門橋を含む下関IC~門司港IC間の通行料金は、開通当時から1kmあたり普通車で64円と高額(通常区間の約2.6倍)に設定されています。
但し、関門国道トンネルの補修作業(同トンネルは開通から半世紀を経ており老朽化が著しく、定期的に大規模な補修作業を繰り返さなければならないのです)によりトンネルが全面通行止めになる時は、下関IC~門司港IC・門司ICの区間に限り、関門国道トンネルと同じ料金で関門橋を利用する事ができます。

ちなみに、私は今から約9年前の平成12年9月、日本縦断ツーリングの最中に、バイク(250cc)でこの橋を実際に渡ってきました。バイクを運転して渡ったため、運転中に写真を撮る事はさすがにできませんでしたが。
以下に、今から約2年半前の平成18年3月に私が撮影した関門橋の写真を5枚貼付させて頂きます。
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上の写真は、関門海峡を航行する遊覧船上から撮影した、関門橋の下関側の風景です。
アンカレイジ(橋の両端にある、地中に造られた強固な土台の事で、主塔から垂れているケーブルが固定されています)に接して見える建物は、関門自動車道を北九州方面に向かって走る車(関門橋を渡る直前の車)が利用できる「壇之浦PA」の一部です。

海上には貨物船が航行している姿も見えますが、関門橋の橋桁の高さは海面から61mもあるため、大型の船舶もほとんどが支障なく関門橋の下をくぐる事ができます。
ちなみに、東京港のランドマークとして知られるレインボーブリッジの場合、橋桁の高さは海面から52mです。
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上の写真は、遊覧船上から撮影した、関門橋の北九州側の風景です。
アンカレイジと同じ高さの場所に見える、この写真の中では最も右側に位置する建物は、関門自動車道を下関方面に向かって走る車(関門橋を渡る直前の車)が利用できる「めかりPA」の一部です。
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上の写真は、関門橋をくぐる直前の遊覧船上から下関側の方向を撮影した写真です。橋桁の構造がよく分かる写真です。
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上の写真は、関門橋の下をくぐっている最中の遊覧船上から北九州側の方向を撮影した写真です。
潮見鼻から柁ヶ鼻にかけての半島部分と、標高175mの古城山(門司城跡)などが一望できます。
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上の写真は、平成16年に関門海峡の下関側海岸に建立された石碑「壇の浦古戦場址」の前から、北九州方面を望んだ写真です。
源平最後の激戦が行われた海として知られる壇の浦や、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘地として有名な巌流島、馬関戦争(下関事件と四国連合艦隊砲撃事件)の舞台となった海域及び古戦場など、関門海峡には歴史の表舞台となった史跡が多くあります。
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by bridgelove | 2009-07-24 19:11 | 中国・四国・九州の橋

今月7日の記事で詳しく報告させて頂いたように、私は先日、小樽市にある小樽運河やその周辺を見学するなどしてきたのですが、運河周辺を散策した後は、運河からは少し離れた同市手宮にある小樽市総合博物館に行ってきました。

同博物館の施設や展示品は、昭和37年に当時の国鉄により開設された北海道鉄道記念館、及び北海道鉄道記念館の後身である小樽交通記念館のものをそのまま活用しているため、展示物全体の中では特に鉄道関連のものが圧倒的な比率を占めており、そのため鉄道ファンにとっては所謂“聖地”のような場所になっています。

そもそも同博物館がある場所は、新橋~横浜間、京都~神戸間に次ぐ国内3番目の鉄道として明治13年に開業した北海道最古の鉄道「官営幌内鉄道」(手宮~札幌間)の旧手宮駅構内であり、そこは北海道の鉄道発祥の地ともいえる場所なのです。
そういった事情もあり、同博物館では幌内鉄道に関する展示がかなり多いのですが、それらの中でも私が特に興味を抱いたのは、幌内鉄道の橋梁建設をリアルに再現した模型でした。
下の写真がその模型で、恐らく、小樽市入船にあった陸橋だと思います。
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日本で初めて開業した鉄道・新橋~横浜間は全てイギリスの技術により建設されましたが、それに対して幌内鉄道は、アメリカ人技師ホーレス・ケプロン(北海道開拓使顧問)の指導の下、全てアメリカの技術により建設されたため、この陸橋もアメリカの開拓鉄道に準じた形式の木製橋梁となったようです。
以下の各写真は、上の写真の模型各部を拡大したものです。
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重機などの建築機械が一切使われていなかった明治前期の鉄道橋梁建設の様子が窺える、大変興味深い模型です。
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by bridgelove | 2009-07-12 06:33 | 北海道の橋

昨日、私は札幌の隣街・小樽を散策し、小樽運河周辺を歩いてきました。
小樽運河は大正12年に開通し、かつては道内一の繁栄を誇った港町・小樽の経済を支えてきた運河です。

小樽は明治初頭以来、海岸の埋め立て工事を繰り返しながら港が形造られてきたのですが、この運河は内陸に水路を掘ったものではなく、埋め立て地の間に水路を残す事によってできた「埋立て式運河」で、往時は多くの船が行き交い、また、各所に艀(はしけ)舟が係留されて貨物の荷揚げが行われ、商業の街、物流の拠点として発展していった小樽の礎となった運河です。
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小樽の産業はニシン漁から始まり、明治末期には最も漁獲があり、それ以降は次第に少なくなってきたものの、ニシン漁で経済力をつけていった小樽は北海道開拓の玄関となった事もあって(最盛期の小樽は人口も街の規模も札幌を凌ぐ道内随一の都市でした)、海陸産物の集散地として繁栄するようになり、大正時代には運河沿いの倉庫群に豆などの雑穀をぎっしりと蓄え世界の相場に影響を与えるまでになりました。
しかし戦後になると、人力で荷揚げする方式が衰退していった事や、樺太等との交易が無くなったため物流の拠点としての機能が急速に廃れていった事、大規模な空港施設のある千歳や対規模な港湾施設のある苫小牧などに北海道の物流の拠点が移っていった事などから、小樽運河は全く使用されなくなり、そのまま放置されていたため一時はヘドロが溜まって悪臭が漂うまで環境が悪化したのですが、その後、運河全面埋め立て派と全面保存派の対立などの紆余曲折を経て、一部は埋め立てられたものの小樽運河は観光スポットとして整備されていき、平成8年には「都市景観100選」に選ばれました。

現在の小樽運河は、船が航行する事はもうなく運河としての機能は果たしていませんが、小樽を代表する風情ある観光スポットとして、運河周辺は常に観光客らで賑わい、運河に沿って続く石畳の道やガス灯、煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群は、港町情緒が味わえる小樽を代表する風景になっています。
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上の地図が、その小樽運河と、今回私が見てきた、小樽運河に架橋されていた4本の橋の位置を示すものです。どの橋も小樽駅からは徒歩圏内にあります。
ちなみに運河周辺は、京都の嵐山、鎌倉、函館などと同様、観光客向けに多くの人力車が走っているので、時間とお金に余裕のある人は、人力車に乗って運河周辺を散策するのも面白いかもしれません。
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上の写真は竜宮橋です。
この橋のある道路を海とは反対の方向に真っ直ぐ南下していくと、榎本武揚(戊辰戦争で旧幕府軍を率いた人物の一人で、後に明治政府に仕えて北海道の開拓や外交などに尽力しました)が創建したという由緒のある竜宮神社に突き当たります。
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上の写真は、小樽運河と海を結ぶ水路に架かっている月見橋です。
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上の写真は、中央通にある中央橋です。この道路を、海とは反対の方向に真っ直ぐ南下していくと、小樽駅に突き当たります。
この橋と浅草橋との間が、小樽運河の中でも特に風情ある情景を醸し出しています。
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上の写真は、小樽運河の東端部に架かる浅草橋です。
小樽運河はここから直角に曲がって於古発川となり、寿司屋通の中央を暫く流れた後、暗渠になります(但し暗渠部の方が土地が高いため、水の流れはこの説明とは逆で、於古発川から運河に向かって流れています)。
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by bridgelove | 2009-07-07 06:30 | 北海道の橋