今月中頃、関西を旅行した際に、京都府八幡市内で私が見学・撮影してきたのが、下の写真の橋です。
この橋は、同市を流れる放生川に架かる「安居橋」(あんごばし)という名の、風流な木造の反橋(太鼓橋)で、京阪電車の八幡市駅から南へ徒歩約3分程の所にあります。
全国の三大八幡の一つにも数えられる石清水八幡宮が鎮座する男山(淀川の左岸にある標高142.5mの山)の山麓に位置する橋で、毎年9月15日に行われる石清水八幡宮の例祭・石清水祭では、この橋の上で優美な「胡蝶の舞」が奉納されます。
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江戸時代の放生川には今よりも多くの橋が架けられており、川上から五位橋、安居橋、六位橋、高橋の順に橋が架けられ、安居橋は、康正3年(1457年)の後に架けられたため当初は「相五位橋」と呼ばれていたそうですが、その読みが変化して後に「安居橋」と称されるようになったのではないか、もしくは、一所に籠って修行に専念する事を指す仏教用語「安居」に由来してその呼び名に変わったのではないか、と推測されています。
ちなみに、その当時の安居橋は平坦な橋で、反橋は約50メートルほど川下にあった高橋であったそうです。

歌人柏村直絛によって「神わざにつかふる雲の上人もつきをやめづる秋の川はし」(安居橋の月)とも歌われた安居橋とその周辺の景色は、現在では八幡八景の一つに数えられ、男山の山上に鎮座する石清水八幡宮と共に八幡市を代表する名所になっています。
なお、現在の安居橋は八幡市によって平成3年に架け替えられたものです。

橋の北側中央の張り出した舞台のようなものは、その昔、放生会(ほうじょうえ)という、魚を放流する神事がこの川で行われていたときの様子を再現するため、昭和50年の架け替え時に作られたものです。
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by bridgelove | 2009-03-29 06:20 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

今週始め、私は2泊3日で関西を旅行してきました。
1日目は主に大阪に、3日目は主に大阪と生駒にいたのですが、2日目は昼前から夜まで、ほとんど京都におり、京阪本線の三条駅や祇園四条駅などで何度か電車を乗り降りしながら、河原町二条から四条河原町にかけての河原町通や、四条河原町から八坂神社にかけての四条通、木屋町通、祇園界隈をブラブラと散策しました。
そのため、必然的にその一帯の橋も何度か渡ってきました。具体的にいうと、鴨川に架かる三条大橋や四条大橋、高瀬川や白川に架かるいくつもの小橋などです。

しかし、それらの中でも最も風情がある橋は、やはり三条大橋です。
下の写真を見てもお分かりのように、三条大橋は古都に相応しく古めかしい佇まいを見せる、実に情緒溢れる橋です。
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三条大橋の周辺は、東海道と中山道の終点(西側の起点)として発展した宿場町でもあり、江戸時代にはこの橋を沢山の人や物、情報が行き交い、数多くのドラマが生まれました。
また、新選組の名を一躍有名にさせた池田屋騒動の舞台となった池田屋や、坂本龍馬の率いた海援隊が本部を置いた酢屋、その他多くの藩邸は三条大橋の周辺にあり、そのため幕末期にはこの界隈で、命懸けで日本の歴史を塗り替えた先人達の活躍が多く見られました。

現在でも、土下座している姿で有名な江戸時代の勤皇思想化・高山彦九郎の像、東海道中膝栗毛の主人公・弥次さんと喜多さんの像(下の写真参照)などが三条大橋のすぐ近くにあり、また橋の木造欄干の擬宝珠には池田屋騒動の際に付いたとされる刀傷が残っています。
ちなみに、石川五右衛門が釜ゆでの刑に処せられたり、豊臣秀次の一族が非業の死を遂げた刑場も、三条大橋の袂の三条河原でした。

現在の三条大橋は昭和25年に架け替えられたコンクリート製の橋ですが、このように歴代の三条大橋は数々の“歴史の瞬間”に立ち会ってきた、とてもドラマチックな橋でもあるのです。
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それにしても、私は京都で生活していた頃(とはいっても2年間だけですが)、三条大橋は何の気なしに日常的によく通っており、私にとっては馴染みのある橋でもあったのですが、しかし当時は、この橋に対して特別な思い入れがあった訳ではありませんでした。
ところが、今こうして今改めて、三条大橋を見たり渡ったり写真を撮ったりすると、「何て風情のある佇まいの橋なんだろう!」と思います。
その場所の良さはその場所を離れてから初めて気付く、と云われますが、まさにその通りかもしれません。
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by bridgelove | 2009-03-18 20:39 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

北海道の釧路市(道内では札幌・旭川・函館に次ぐ4番目の規模の都市)の中心部を流れる釧路川には、幣舞橋(ぬさまいばし)という、全長124m・幅33.8mの三径間連続鋼床版箱桁橋が架けられています。

滝川と釧路を結んで北海道の東西を繋ぐ大動脈となっている国道38号の一部にもなっている橋で、また、釧路市内を紹介する映像など(釧路の天気予報のコーナーでも)では大抵この橋が映し出され、釧路を象徴する風景ともなっている橋です(橋自体が釧路を代表する観光名所の一つであり、釧路十景にも数えられています)。
明治33年に官設の初代幣舞橋が架橋されて以降、数度の架け替えを経て、現在の幣舞橋は昭和51年に5代目の幣舞橋として架橋されました。
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上の地図が幣舞橋の位置を示す地図で、釧路駅からは徒歩10分程の距離にあり、釧路駅方面から来た場合、この橋を渡ってロータリー(六差路)に着いた所で国道38号線が終わります。
なお、ロータリー側から見た橋の全景写真は以下のページ(ウィキィペデイア)に掲載されています。以下のURLをブラウザのURL欄にコピペして見て下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nusamai-Bridge.jpg

下の写真2枚は、3年程前に釧路に行った時、早朝の幣舞橋から撮影したものです。
これらは橋の風景ではなく、いずれも橋から見た風景で、1枚目はロータリー方面を、2枚目は海側(下流方面)をそれぞれ撮ったものです。
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そして幣舞橋といえば、取り上げない訳にはいかないのが、幣舞橋の橋上に立つ、日本初の橋上彫刻「四季の像」です。
四季の像は日本を代表する4人の彫刻家により造形された、4体の裸婦立像で、「春の像」は舟越保武氏により「若葉が萌えいずる雪解けの季節」を、「夏の像」は佐藤忠良氏により「さわやかな風を受けて羽ばたく若々しさ」を、「秋の像」は柳原義達氏により「迫りくる厳しい冬に立ち向かう精神と緊張感」を、「冬の像」は本郷新氏により「寒さと冬をはねのけて春を待ち望む心」を、それぞれ表現した彫刻です。
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これらの4体はどれも、芸術に疎い私が見ても「とても素晴らしい!」と感じる裸婦立像なので、幣舞橋を訪れた際は是非立ち止まって鑑賞してみて下さい。もっとも、裸婦の像だけに、あんまり凝視していると周囲から怪しまれるかもしれませんが(笑)。
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by bridgelove | 2009-03-02 05:43 | 北海道の橋 | Comments(0)