カテゴリ:神社仏閣の橋( 24 )

先月末頃、1泊2日の旅程で函館を旅行した際、函館市亀田町に鎮座する亀田八幡宮にお参りに行ってきました。
同宮は、南北朝時代末期の明徳元年に越前国の気比神宮より八幡大神の御分霊をこの地に奉遷したのが創建の由緒とされる、北海道でも特に歴史の古い神社で、江戸時代は松前藩の祈願所に定められ、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争では、榎本武揚ら旧幕臣が同宮神殿で、明治新政府への降伏を誓約したと伝わっています。
また、現在は神輿殿として使われている旧拝殿の壁には、箱館戦争で付いたという銃弾の弾痕が今も残っています。

下の写真は、その亀田八幡宮の参道にあった太鼓橋です。
御覧のように、この太鼓橋は川や池などに架かっている訳ではなく、また、道路や線路等を跨いでいる訳でもないので、橋としての本来の機能は既に無く、神様や参詣者の通り道として、その象徴的なモノとして残っているのでしょう。
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by bridgelove | 2010-11-05 22:38 | 神社仏閣の橋

前回の記事では、先月私が福岡県の久留米市内で見学・撮影してきた、線路(JR鹿児島本線)下をくぐる水路を紹介させて頂きましたが、あの水路を見学する直前、私は同市内の水天宮という神社に行っていました。
そもそもこの時私が久留米に立ち寄ったのは、全国各地に鎮座する水天宮の総本宮とされる、久留米の水天宮をお参り・見学するためでした。

以下の写真は、その水天宮をお参りした際に私が渡ってきた、境内の参道に架かっていた石製の太鼓橋です。傾斜がキツい部分には階段が設けられていたため、太鼓橋にしては上り下りしやすい橋でした。
こういった伝統的な形状の太鼓橋は、比較的規模の大きな神社仏閣などに行くと今でも結構よく見られますが、逆にいうと、神社仏閣以外の場ではほとんど見かける事が無くなってしまいました…。
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ちなみに、九州一の長さを誇る“母なる川”筑後川の畔に鎮座する、ここ久留米の水天宮は、安産や、水難・火災・疫病等除災の御利益で広く知られており、また、(私は知りませんでしたが)河童の発祥地としても知られているそうです。
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by bridgelove | 2010-06-02 20:27 | 神社仏閣の橋

私は一昨年の8月、ユネスコの世界文化遺産に登録されている事でも知られている、京都を代表する神社のうちの一つである京都市左京区に鎮座する下鴨神社(正式名称は賀茂御祖神社)を参拝してきました。
そして、同神社でお参りした後に境内で撮ってきた橋が、下の写真の輪橋(そりはし)です。
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この輪橋が架かっている御手洗川(みたらしがわ)という小川は、土用の丑の日に足を浸して病を封じる「足つけ神事」や、立秋の前夜に行われる「矢取の神事」、京都三大祭り(5月の葵祭り、7月の祇園祭り、10月の時代祭り)の一つである葵祭で行われる「斎王代の禊の儀」など、様々な祓の神事が執り行われる清流で、通常は水は流れていないのですが土用が近付くと水が湧き出てくるため、この不思議な現象は「京の七不思議の一つ」とされています。

下の写真は、間近から撮影した輪橋で、橋の麓にはこのように注連縄が張られています。
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下の写真は、今から6~7年前の冬頃に、1枚目の写真とほぼ同じアングルで撮影したものです。緑があまり無い分、こちらの写真の方が、橋の周囲の情景や、周辺の社殿の形などは判りやすいと思います。
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ちなみに、1枚目や3枚目の写真に写っている朱塗りの楼門は、江戸時代の寛永5年に造替された入母屋造り・檜皮葺の楼門で、高さは13mあり、国の重要文化財に指定されています。
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by bridgelove | 2010-05-06 05:50 | 神社仏閣の橋

宇治橋の架け替えが完了

新年の御挨拶が遅くなりましたが、皆様、あけましておめでとうございます。
昨年は、拙い文章のこのブログを読んで戴き、また、このブログに対して意見・感想等も寄せて下さり、どうもありがとうございました。
引き続き、本年もどうか宜しくお願い致します!

さて、新年第1回目の記事は、三重県伊勢市の五十鈴川に架かる木造橋「宇治橋」についてです。
この橋については一昨年3月2日の記事でも紹介させて頂きましたが、再度このブログで取り上げさせて頂きます。

神宮(所謂「伊勢神宮」の事)は飛び地が多く、その境内地は伊勢市内各地に(一部は市外にまで)分散しているのですが、それらの広大な境内地の中でも最も大切で重要な神域とされているのは、「内宮」(ないくう)と称される御神殿を中心とした聖域です。
そして、その内宮への“表玄関”として機能しているのが、全長約102m、橋幅8.42mの、檜造りの華麗な宇治橋です。
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神宮といえば、1,300年もの歴史を有する「式年遷宮」(20年に1回神宮の御神殿を建て替える慣習、及びそれに関わる各種のお祭りや儀式)が有名ですが(次の式年遷宮は平成25年で、現在はその準備が着々と進められています)、実は宇治橋も、式年遷宮とは時期をずらして20年毎に架け替えられています。

今回の宇治橋架け替えは、式年遷宮を5年後に控えた平成20年7月から始まり、まず、宇治橋の少し下流に仮橋(工事期間中使用されます)が架けられ、その後、宇治橋が封鎖・解体されました。
そして、解体された跡に、宮大工13名・船大工8名を始め重機の技師達を含む総勢40名の熟練工のチームが、伝統技法の粋を尽くして新しい橋を建設し、今から2ヶ月程前の昨年11月、無事、新しい宇治橋が竣工を迎えました。
ちなみに、橋の上面を覆う敷板616枚の加工には木造船の船底を張る特殊な伝統技法が用いられる事から(敷板は、雨水を一滴たりとも橋脚へ漏らさぬよう一枚一枚入念な“すり合わせ”が施されます)、宇治橋の建設には船大工の存在も不可欠なのです。

上の写真は、先日「伊勢神宮崇敬会」から私の手元に送られてきた会報(第53号)の表紙で、手前の真新しい橋が、竣工直前の新しい宇治橋で、その奥の橋が、約11ヵ月間使用された、宇治橋よりも小規模な仮橋(長さ63m・幅5m)です。仮橋の橋脚は鉄骨製ですが欄干には木材が用いられ、和風らしい雰囲気が演出されています。
このように宇治橋とその仮橋が同時に存在するのは、宇治橋の架け替え工事期間中だけなので、2本の橋が並ぶこの風景は20年に1度しか見られません。
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上の写真も会報からの転載で、これは、昨年11月3日のの午前10時から行われた渡始式での一コマです。
渡女(わたりめ)と云われるお婆さんを先頭に、宇治橋を建設した職人さん達や神宮の神職などが、古式ゆかしい装束を着て整然と整列しながら参進する様子は、まるで時代絵巻を見ているかのような、とても雅な光景です。

なお、今回の渡始式では、古くからの慣例に倣って渡女は旧神領民(地元・伊勢市内に在住する人達)の高齢者から選ばれ、82歳の女性がその大役を務めました。
渡女の後ろには、渡女の夫と子供夫婦、孫夫婦の三世代が粛々とつき従いましたが、これは、三夫婦の長寿と和合にあやかって橋の永遠と安全を願うためと云われています。
そして、全国から選ばれた58組348人の正装した三世代夫婦も祭列に参加しました。
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上の写真も会報からの転載で、このページでは主に、宇治橋竣工の奉祝行事の様子が紹介されています。
奉祝行事としては、渡始式が行われた日の午後1時から神苑で神宮神楽が特別公開され、午後4時からは「国民総参宮」の名のもと、多くの人々が列を成して神宮を参拝し、日が落ちてからも、宇治橋のライトアップが行われたり、提灯行列が夜の参道を巡るなど、奉祝行事が続きました。
この日はおよそ10万人が宇治橋を渡って内宮を参拝し、その人数は元旦の初詣参拝者数をも上回ったそうです。
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上の写真は、会報の入っていた封筒に同封されていた、宇治橋竣工の記念品で、これは解体した旧宇治橋の古材から作られた木製のしおりです(写真はしおりの表面と裏面をそれぞれ撮影したものです)。

宇治橋は20年を経ると、敷板は凹凸が目立つようになり、橋脚は水に浸かっていたために腐食が進みますが、欄干や橋桁は鉋(かんな)をかければまだ使用できる事から、このように加工されて、無駄無く再利用されるのです。
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by bridgelove | 2010-01-07 22:01 | 神社仏閣の橋

先月末頃、関西を旅行した際、滋賀県多賀町に鎮座する「多賀大社」という、古事記にもその名が見られる古社を参拝・見学してきたのですが、その時同社境内で見たのが、「太閤橋」という名前の石造の太鼓橋です。

天正16年、太閤秀吉が生母・大政所の病気平癒を同社に依頼した際の1万石によって築造されたたため「太閤橋」と呼ばれるようになったそうですが、現在の太閤橋は寛永の大造営によって寛永15年に再築されたものだそうです。
貴重な石橋として、現在は「多賀町指定文化財」にも登録されています。
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上の写真が、その太閤橋です。
大鳥居と神門前の間を流れる車戸川に架橋されており、相当急な傾斜の神橋なのですが、参拝者も実際に渡る事ができます。
ちなみに、右側奥に見える桧皮葺の屋根の建物は神門です。
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上の写真は、真横から見た太閤橋です。
御覧のようにかなり急な傾斜なのですが、現在でも、古例大祭時の御神輿(おみこし)はこの橋を渡るそうです。
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上の写真は、神門側から撮影した太閤橋で、橋の奥に見えるのが「大鳥居」という、典型的な明神形の石鳥居です。
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by bridgelove | 2009-09-07 22:42 | 神社仏閣の橋

この写真は、昨年2月、名古屋市熱田区に鎮座する熱田神宮を参拝・見学した際に、同神宮の境内で撮影した「二十五丁橋」という石橋です。
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この石橋は、25枚の板石が並べられている太鼓橋で、名古屋最古の石橋とも云われており、『尾張名所図会』(おわりめいしょずえ)にも描かれています。
西行法師(平安時代末期~鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人)がこの橋で休んだという伝承もあるそうです。

現在、この橋を渡る事はできませんが(保存のため通行禁止になっております)、同神宮境内中央を南北に貫く表参道のすぐ傍に架かっている為、間近から見学する事はできます。
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by bridgelove | 2009-04-29 05:37 | 神社仏閣の橋

有史以来、日本では数多くの橋が造られてきましたが、そのほとんどは木造の橋であったため、長い年月を経て腐って朽ちてしまったり、あるいは洪水や氾濫により流されたり、焼失したり、戦乱期に破壊されるなどして、建造当初の橋はほとんど現存していません。

そんな中、文化的にも建築史的にも特に貴重な存在とされる、国内の18の橋(木橋5・石橋13で、その大半は社寺境内の橋)は重要文化財の指定を受けているのですが、現存しているそれらの重要文化財の橋の中でも最古の橋として知られるのが、広島県廿日市市(旧宮島町)に鎮座する厳島神社の境内にある「反橋」(そりばし)です。
下の写真が、昨年2月に同神社を参拝・見学した際に私が撮影してきた、その反橋です。
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海に浮かぶ優美な情景で知られ、平成8年には世界遺産にも登録された、宮島の厳島神社(全国に約500社ある厳島神社の総本宮)は、6~7世紀に創建されたと伝えられていますが、現在のような姿になったのは12世紀で、同神社を平家一門の守り神として篤く崇敬した、時の天下人・平清盛によって本格的に整備されました。
その厳島神社境内にあるこの反橋は、「勅使橋」という別名を持っており、かつてはその別名の通り、勅使(天皇陛下のお遣い)が参拝する時に使用されていました。ただ、橋の反り(勾配)が大きく、そのままでは渡る事が困難なため、実際にこの橋が使われる時は、床板の上に仮設の階段が設けられたそうです。

また、この反橋には現存する最古の擬宝珠(ぎぼし)が付いており、そこには弘治3年(1557年)に毛利元就・隆志元が造営した旨の銘があります。
反橋は、昭和26年には床板や桁の一部と支柱の根継ぎなどの修理が行われ、今も美しい姿を保っていますが、現在は橋本来の用途である通路としては使われておらず(立入禁止です)、貴重な文化財、装飾的な橋として、厳島神社の優美な情景を更に引き立てています。
厳島神社といえば、海上に浮かぶ大鳥居や廻廊、国宝の本殿・平舞台・高舞台などが特に有名であり、それらに比べると反橋はあまり知られている存在とはいえませんが、同神社に行かれた際には、是非反橋も併せて御見学下さい!

ちなみに、以下の写真はいずれも同神社境内で私が撮影したもので、各社殿間を結ぶ海上の廻廊もなかなか幻想的な雰囲気を醸し出しており、見ていて飽きる事がありません。
なお、廻廊の床板の間には目透しという隙間が作られており、この隙間は、高潮の時に下から押し上がってくる海水の圧力を弱めたり、海水や雨水を海へ流す役目を果たしているそうです。
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by bridgelove | 2008-11-29 05:15 | 神社仏閣の橋

妙心寺・放生池の石橋

先月、私は2泊3日の日程で京都・大阪を旅行してきたのですが、その際、京都市内では臨済宗妙心寺派大本山の妙心寺に立ち寄り、同寺境内を散策して来ました。
日本にある臨済宗系寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派の寺院が占めている事から、妙心寺派は事実上、臨黄(臨済宗各派と黄檗宗の枠組みの事)を代表する宗派であり、その妙心寺派の中でも特に中核を成しているのが大本山の寺格を持つ同寺で、広大な境内には七堂伽藍や46もの塔頭(たっちゅう)が立ち並び、法堂の天井に描かれた狩野探幽の「八方にらみの龍」、日本最古の名梵鐘、明智光秀の供養に建立された蒸し風呂「明智風呂」など、多数の見所がある寺院としても知られています。

そして、この妙心寺の境内にも、興味深い橋がありました。
勅使門と三門との間にある放生池(ほうじょういけ)という名のほぼ正方形の形をした池の中央に架かっている石橋で、下の写真がその石橋を東側から見た光景です。
ちなみに「放生」とは、捕えた虫や魚、動物などの生物を解放して自由にする事で、それによって殺生や肉食を戒め、慈悲の実践とします。放生池は魚類を放す場所で、妙心寺以外にも石清水八幡宮や本能寺など多くの社寺に設けられています。
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下の写真は、石橋と、石橋の南側にある重要文化財の勅使門です。
この門は通常は閉じられていますが、妙心寺住持の入山・晋山時に新住職はこの門から境内に入るそうです。
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下の写真は、石橋の南側(勅使門側)から、石橋と、「三門」と称される朱塗りの楼門を望んだ光景です。
この門も重要文化財で、楼上には観世音菩薩と十六羅漢が祀られ、極彩色鮮やかに飛天や鳳凰、龍の図などが柱や梁に描かれているそうです。
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by bridgelove | 2008-09-16 04:21 | 神社仏閣の橋

今年の5月、私は広島県や山口県を旅行し、その際に山口県岩国市にある日本三名橋の一つにも数えられている錦帯橋を見学したり渡ってきたりした様子は5月10日の記事にも書かせて頂きましたが、あの後(錦帯橋を吉香公園側に渡った後)、私は吉香公園の中を散策し、そこでも印象深い橋を見つけました。
以下の上段・下段の写真がその石橋(両方とも同じ橋です)で、それぞれ側面・正面から撮りました。
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吉香公園の中には、吉香神社という、岩国藩主吉川氏歴代の御神霊をお祀りする神社が御鎮座されていたのですが、この情緒深い石橋はその神社へと続く橋で、神社の参道の一部を構成していました。
神社自体も、鳥居・神門・拝殿・幣殿・本殿が南から北に一直線に並び、拝殿は入母屋造妻入りでその背面に幣殿が張り出し、本殿は三間社流造で正面に軒唐破風、千鳥破風が付されている、印象深い造りになっていました(多分道外ではこういった古式床しい造りの神社は別に珍しくもないのでしょうが、北海道では珍しいです)。
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by bridgelove | 2008-08-17 06:23 | 神社仏閣の橋

私は今まで何回か(多分4回くらい)、和歌山県高野町の高野山に参詣に行っています。
うち1回は高野山内にある大師教会という施設で2泊し、あとはいずれも高野山内の宿坊で1泊ずつ泊まり、山内の各所を見学したりお参りしたりしてきました。
私は元々神社仏閣をお参りしたり見学したりするのが好きなのですが、私が今まで見て周った仏閣の中では、高野山は特に私の好きな寺院の一つとして挙げる事ができます。

「宗教都市」「聖地」などと言われるだけあって、高野山には至る所に寺院やお堂、お社などが点在していますが、その高野山の宗教的な中心となっているエリアは、大きく3つに分ける事ができます。総本山金剛峰寺、壇上伽藍、奥之院です。
そして、この3つのエリアの中でも特に聖なる場所とされているのが奥之院で、奥之院エリアの最も奥深い場所に建っている弘法大師御廟には、真言宗開祖の空海(弘法大師)が今もここで生きたまま禅定に入られていると信仰され、ここは真言宗全派の僧侶・檀家・信徒達にとって最大・最高の聖地とされています。

奥之院入口からその弘法大師御廟までは約2kmの距離があり、この間の参道の両側には、巨大な老杉、苔むした五輪碑や墓碑、塔婆などが延々と建ち並んでおり、その景観は一種独特であり、それでいてなかなか壮観です(奥之院にある墓石の数は二十万基を越えているだろうと言われています)。
私が初めてこの参道を歩いたのは午前5時半頃の早朝でしたが、朝靄がかかっている中で、他に参拝者が全く歩いていない老杉の下の参道を、無数に林立する墓石を眺めながら歩くと、「人は死んだ後、三途の川を渡って冥府(よみ)の国へ旅をするといわれているが、その旅路の光景は、今自分の眼前に広がっているこんな光景なのかもしれない」とふと思ったりしました。早朝の奥之院は、そう思ってしまう程霊感に打たれる、とても幻想的で宗教的な場所でした。

そして、その奥之院の参道には「一の橋」「中の橋」「御廟橋」という3つの橋が架かっているのですが、下の写真は、奥之院参道入口に架かっている「一の橋」です。
ここから奥之院の聖域がスタートします。奥之院のエリアが「あの世」を模しているのだとしたら、この橋はあの世とこの世の境界とも言える橋です。
ちなみに、車両は通行できません。
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下の写真は、奥之院参道に架かる3つの橋の中では最も弘法大師御廟に近い橋である「御廟橋」です。写真に写っている正面突き当たりのお堂は「燈籠堂」といい、弘法大師御廟はこのすぐ後に建っています。
この橋から奥は、奥之院エリア全体の中でも特に清浄な聖域ですから、僧侶は必ず、一之橋とこの御廟橋を渡る時は行きも帰りも恭しく拝礼する慣例になっており、また、一般の参拝者も御廟橋から奥は写真撮影が禁止されています。そういった意味では、小さいながらもかなり存在感のある橋です。
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御廟橋の橋板は36枚ありますが、これは、金剛界三十七尊を象ったもので(橋全体を一つに数えて37枚)、橋板の裏にはそれぞれの仏名が書かれているそうです。
橋の上からは、玉川の清流の中に立てられている、流産や水子の霊を弔う卒塔婆も見る事ができますが、この塔婆を見ると、ここが極めて非日常の宗教的な空間である事を改めて実感させられます。
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by bridgelove | 2008-06-05 06:32 | 神社仏閣の橋