カテゴリ:中部・近畿の橋( 32 )

前回の記事では京都・嵐山の渡月橋を紹介させて頂きましたが、今回は、その渡月橋と近接する「渡月小橋」を紹介させて頂きます。
知名度は圧倒的に渡月橋のほうが上ですが、レトロな雰囲気という意味では、渡月小橋のほうが上であろうと私は個人的に思っています。

下の地図は、渡月橋と渡月小橋の位置関係です。
大堰で堰かれた桂川(保津川)の流れは左右に振り分けられ、大堰の杭から流れ落ちるのが本流で、右側の掘割へ流れた水は桂川用水に導水後再び本流に戻るのですが、本流と掘割の間には「中ノ島」と云う中州があり、渡月橋はその中ノ島と北側(嵯峨方面)に、渡月小橋は中ノ島と南側(嵐山方面)にそれぞれ架けられています。
下の地図では、渡月橋のすぐ下(南側)に位置する短い橋が渡月小橋で、この橋は右京区と西京区との区界にもなっています。
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掘割の周囲には江戸時代を感じさせるような風景(石垣、木々、舟など)が多く、また、橋桁の下を覗き込んだアングルや橋たもとの階などは、たくさんの堀を巡らせていた江戸の水景を表現するには絶好のアイテムとなっているため、渡月小橋の周辺では、剣客商売、必殺仕事人シリーズ、長七郎江戸日記など、数々の時代劇のロケが行われました。

橋周辺の景観だけでなく、橋そのものも、欄干が木製であったり桁隠しが付いているなど、なかなか風情が感じられます。
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by bridgelove | 2011-04-22 05:57 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

先月末頃、関西方面を旅行した際、私は京都の嵐山に行ってきたのですが、嵐山では、桂川(保津川)に架かる全長154mの桁橋「渡月橋」(とげつきょう)を見学し、徒歩で渡ってきました。

桜や紅葉など四季の綺麗な景色が楽しめる橋であり、5月の三船祭、7~8月の鵜飼いや万灯流しなど昔ながらの風流を愛でる舞台ともなる橋ですが、私が訪れた時は桜の開花直前で、特に行事がある時期でもなかったため、周囲の景色や雰囲気に然程の華やかさはありませんでした。
しかし、レトロな風情を感じさせる渡月橋は、自然豊かなな嵐山の景観に調和した綺麗な橋だなと感じました。
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当時は現在地より200m程上流に位置していたそうですが、渡月橋は平安時代からあり、名勝・嵐山の中腹に位置する法輪寺(今昔物語集、枕草子、平家物語などにもその名が登場する古寺です)への通行のために架けられていたので、その当時は法輪寺橋とも呼ばれていました。
渡月橋という名前は、橋の形が、さながら月が橋を渡っていく様子に見えたため、鎌倉時代に亀山上皇が「くまなき月の渡るに似る」と感嘆をされた事から命名されたと云われています。

渡月橋は、度重なる洪水や戦火等で焼け落ちるなどして現在地に移設され、現在の元となった渡月橋は、江戸時代初期に京都の商人・角倉了以(すみのくらりょうい)によって架橋されました。
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昭和9年に完成した現在の渡月橋(平成13年にリニューアルされていますが)は、一見木造に見えるものの、実は鉄筋コンクリート製の橋で、ただ欄干部分は景勝地である嵐山の風景にとけ込むよう木造になっています。

嵐山地区を紹介する観光のパンフレットやガイドブックなどにはこの橋が写っている写真が多用されており、また、京都が舞台となっている映画やドラマなどにもよく登場している事から、現在では観光地としての嵐山地区の景観を代表・象徴する橋として、全国的に広く知られています。
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by bridgelove | 2011-04-18 23:57 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

平成20年2月、名古屋を旅行した際に、他地域では見られない「リニモ」(吸引型磁気浮上式システム)という面白い乗り物に乗ってきました。

リニモは、名古屋市東区の藤が丘駅と豊田市の八草駅間8.9kmを所要時間約17分(最高速度は100km/h)で結ぶ、愛知高速交通という第三セクターが運営する鉄道(路線の正式名称は愛知高速鉄道東部丘陵線)ですが、鉄道とはいっても、その車両には駆動用の車輪がありません。リニモという愛称からもある程度予想がつくように、この鉄道は浮上式のリニアモーターカーなのです。
リニモは、愛知万博の開催に合わせて平成17年3月に開業し、万博開催時には、万博への唯一の鉄道系輸送機関として大活躍をしました。もっとも、万博時には一度に大量に人が乗り過ぎて車両が緊急停止してしまうといったアクシデントもあったそうですが、私がこの旅行で乗った時はほとんど“貸切状態”で、終点の八草駅まで乗っていたのは私一人だけでした(笑)。

リニモは乗り心地も良く、なかなか快適な乗り物で、無人運転で運転士がいないため、先頭車の座席に座ると前方の見晴らしも抜群に良いです。
下の写真はいずれも、走行中に先頭車の前方から撮影した、リニモの高架橋です。枕木の上にレールが2本敷設されている、という通常の鉄道とは全く異なる形状の軌道である事がお判り戴けるかと思います。勿論、ゴムタイヤで走る新交通システム(東京のゆりかもめ、大阪のニュートラム、神戸のポートライナー、広島のアストラムラインなどのような軌条式中小量輸送システム)とも大幅に異なっています。
なお、リニモの路線の大半は高架橋で、そのほとんどは道路上に建設されています。
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ちなみに、リニアモーターカーというと、将来の中央新幹線(東京~甲府~名古屋~奈良~大阪)として運用すべくJR東海が山梨で実験を進めているリニアの方が一般的には有名ですが、あちらのリニアは反発型磁気浮上システムで、吸引型磁気浮上式システムのリニモとは全く別のシステムです。
運用としてはモノレールや新交通システムに近い、都市内の輸送を担うリニモと、都市間の長距離輸送を担うJR東海のリニアとは、その目的や運用も大幅に異なります。
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by bridgelove | 2010-09-02 06:32 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

今年2月、私は2泊3日の旅程で神戸・淡路島・鳴門・倉敷・岡山方面を旅行し、淡路島では、北淡震災記念公園などを見学してきました。
平成7年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の震源地となった淡路島北部にあるこの公園には、同地震により10kmもの長さに渡って地表に出現した野島断層(国指定天然記念物)の一部(140m)をそのままの状態で保存・展示する「野島断層保存館」があり、私はその保存館も見学してきたのですが、自然の持つ威力や脅威を見学者に強烈に見せつけてくれる野島断層と共に特に私の印象に残ったのは、保存館のエントランスホールに展示されていた、阪神淡路大震災により倒壊した国道43号高架橋を再現した模型でした。

被災地にあったいくつもの橋が倒壊・崩壊した事は、報道された映像や写真などから勿論知識としては知っていましたが、しかし、再現模型とはいえどもリアルな実物(高架橋は多少デフォルメされていますが横転している車は実物大の大きさです)を目の当たりにすると、頑丈なはずの橋脚がこんなに脆くポッキリと折れてしまった事には改めて衝撃を受けました…。
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阪神淡路大震災による橋の被災については、以下の記事でも詳しく報告させて頂きましたので、こちらも併せて御覧下さい。
http://bridgelove.exblog.jp/11982934/
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by bridgelove | 2010-08-24 00:32 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

15年前(平成7年)の今日、午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の大地震(観測史上初の震度7の激震)が、150万都市神戸を中心とする兵庫県南部(阪神地区)や、淡路島などを直撃しました。

激震によってビル・マンション・民家などは一瞬のうちに倒壊して瓦礫となり、そしてその瓦礫はなすすべのない住民達を容赦なく襲い、黒みを帯びたオレンジ色の炎は街を焼き尽くし、阪神高速道路は横倒しになり、鉄道の高架や駅舎も無残に崩れ落ち、海上都市のポートアイランドは液状化現象により泥水に覆われ、ガス・水道・電気・電話などのライフラインもズタズタに寸断されました。
日本の「耐震工学神話」は脆くも崩れ去り、最終的には死者6,434人、負傷者約44,000人、全半壊家屋512,882棟、被害総額推定10兆円もの甚大な被害を出す、関東大震災以来最悪の大惨事となりました。

しかし、建物の倒壊や火災などで辺り一面焼け野原となった被災地も既に復興を果たし、今では震災の痕跡はほとんど残されていません。
私は平成14年4月~16年3月までの2年間、京都府八幡市で生活していたため、その2年間の滞在中、何度か神戸にも足を運びましたが、その時ですら、震災の痕跡を探すのは困難な程、神戸の街並みは整然と復興されていました。
最近では、住民の入れ替わりが進んでいる事や、震災を知らない若い世代が増えてきている事などから、被災地ですら“震災の記憶”の風化が進でいるといわれています。

震災の記憶をこれ以上風化させないためにも、今日は改めて、当時の写真(橋脚や橋桁などの崩落写真)で阪神淡路大震災の激しさと被害の甚大さを振り返ってみたいと思います。
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▲ 震災当日(17日)に西宮市で撮影された、阪神高速道路湾岸線のアーチ橋です。橋脚の手前で道路が落下し、通行止めになりました。
震災以前、神戸市の地域防災計画では震度5の地震までしか想定していませんでした。
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▲ 震災当日に神戸市東灘区で撮影された、635mに渡って横倒しになった阪神高速道路の高架橋です。橋脚が根元から折れ、走行中の車と共に無残に倒壊しました。
この写真は、阪神淡路大震災の激しさを象徴する光景にもなりました。
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▲ 震災当日に西宮市で撮影された、崩壊した阪神高速道路の高架橋と、間一髪で転落を免れたバスです。
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▲ 震災翌日(18日)に明石市で撮影された、橋脚が崩れた山陽新幹線の高架橋です。枕木を付けたまま宙に浮いている軌道の様子から、地震の激しさが伝わってきます。
この時、新幹線はここを走っていなかったため、幸いにして鉄道乗客の犠牲者はゼロで済みましたが、もし震災発生時に新幹線がここを走っていたとしたら、「良くても脱線、悪くすれば転覆、最悪の場合転落して密集する民家をなぎ倒しながら…」という事態になっていました。
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by bridgelove | 2010-01-17 06:00 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

今年の8月末、私は2泊3日の日程で関西を旅行し、2日目の午前中は、世界最長の吊橋である明石海峡大橋を見学するなどしてきたのですが、最終日の午後は、滋賀県に立ち寄って、彦根のシンボルにもなっている名城・彦根城を見学して来ました。

私は、彦根城はてっきり「平城」だと勝手に思い込んでいたのですが、実際には、山としての標高は低いながらも彦根城は「山城」に近い、高台にそびえるお城で(正確には「平城」と「山城」の間の位置付けである「平山城」という形式なのだそうです)、気温が31℃で湿度も高めという状況下、私は彦根駅から徒歩でお城まで行き、表門からは汗だくになりながら山道や石段を登り、天守閣では、江戸時代初期に造られただけあってバリアフリーなんて概念は全く無い(笑)ほとんどハシゴに近い急傾斜の階段を昇って、何とか最上階の天守まで辿り着きました。
お陰様で、彦根城ではかなりの体力を消耗しましたが、いい思い出にもなりました(笑)。

彦根城は、徳川家康の家臣中、四天王の一人に数えられた井伊直正の子・直継が築いたお城で、以後、徳川譜代大名の筆頭井伊家歴代のお城となるのですが、豊臣家との合戦に備えて急ピッチで築城されたお城であるため、天守閣は大津城、太鼓門櫓は佐和山城、西の丸三重櫓は小谷城、天秤櫓は長浜城などからそれぞれ移築されて完成した、かなり急ごしらえのお城です。
しかし、戦災等により失われる事なく今日まで残されているため、戦国のお城の姿を今に伝える貴重なお城として、三層三階の天守閣は、今日では国宝に指定されています。
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上の写真は、その彦根城の敷地内にある「廊下橋」という橋です。
空濠(通路にもなっています)を跨ぐようにして鐘の丸から天秤櫓の門へ架けられている木製の橋で、もともとは橋に覆い屋根と壁がつけられていた事から、廊下橋の名で呼ばれています。
この橋にかつて屋根や壁が設けられていたのは、城の防備のために城兵の移動を敵方に知られないようにするためだったそうです。
なお、この橋には「落とし橋」としての機能もあり、非常時にはこの橋を落下させ、敵の侵入を防ぐ事ができるようになっていました。
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上の写真は、廊下橋を渡る直前に、鐘の丸側から廊下橋と、その先にある「天秤櫓」という櫓を撮った光景です。
天秤櫓は、上から見ると「コ」の字形をしていて、両端に2階建ての櫓を設けて中央に門が開く構造があたかも両端に荷物を下げた天秤のように見えるため、天秤櫓と称されています(但し厳密には左右対称ではありません)。
ちなみに、天秤櫓は重要文化財に指定されています。
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上の写真は、天秤櫓の窓から撮った廊下橋です。
御覧のように、城郭建築の構造物に相応しい、情緒溢れる美しい橋です。
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by bridgelove | 2009-12-05 22:09 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

神戸空港は、三宮(神戸市中心部)の南・約8kmに位置する人工島(面積272ha)に建設された、2,500mの滑走路1本を持つ海上空港で、平成18年2月に開業しました。
札幌(新千歳空港)と関西を結ぶ直行便は、札幌~関空、札幌~伊丹、札幌~神戸の3ルートがそれぞれ設定されているため、神戸空港は、私も今まで何度か利用した事があります。

神戸港(神戸市中央区の南側沖合)には「ポートアイランド」という人工島が既に建設されているため(昭和56年完成)、空港島は、ポートアイランドの更に南側沖合に建設され、本州本土とポートアイランドは「神戸大橋」というアーチ橋と「神戸港港島トンネル」というトンネルで、そしてポートアイランドと空港島は、「神戸スカイブリッジ」の愛称を持つ神戸空港大橋(神戸空港連絡橋)で連絡されています。
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下の写真を見て戴くと、本土、ポートアイランド、神戸空港、神戸スカイブリッジの位置関係がはっきり分かると思います(この写真は飛行機の窓から撮影しました)。
本土から空港へと向かうには、飛行機や船を使う場合以外、必ずポートアイランドを経由して行く事になるのです。
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全長約1.2kmの神戸スカイブリッジには、車道と歩道(どちらも通行無料)、そして「ポートライーナー」という新交通システム(鉄道の一種)の路線が通っており、この路線を走るポートライーナーの快速に乗ると、三宮駅~神戸空港駅間は最速16分半で移動できます。
ちなみに、平成18年7月からは、人工島同士である神戸空港と関空の間を約30分で結ぶ、高速艇の航路が開設されています。
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上の写真2枚は、ポートライーナーの車内から撮影した神戸スカイブリッジの全景です。この橋の形状がよく分かります。
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上の写真もポートライーナーの車内から撮影したもので、この写真は、神戸スカイブリッジを渡っている最中に正面の窓から撮影したものです。

神戸スカイブリッジの歩道からは、神戸港の東側一帯やポートアイランドの工業地帯を中心とした景色が望め、同橋は夜景スポットとしても人気があるそうです。
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by bridgelove | 2009-11-29 12:39 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

先月31日の記事で詳しく報告させて頂いたように、私は先月末、神戸で明石海峡大橋を見学してきたのですが、同橋を見学した後、私は神戸から大阪の伝法へ阪神なんば線の電車に乗って移動しました。
淀川を渡った直後の駅・伝法駅で降りた私は、淀川の堤防へと歩いて行き、ほんの数分前に電車で渡ってきたばかりの橋「淀川橋梁」を堤防から見学してきました。
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大阪を代表する大河・淀川(正確には、淀川下流に開削された全長約10km、幅約800mの「新淀川」という放水路)を渡る鉄道としては最も河口近くに架かっているこの鉄道橋は、中央を除くとガーターがないため、この橋を狙ってカメラを構えると、同橋を走る電車全体(最高10連)が障害物無しにキッチリとファインダーに納まるとして鉄道ファンにはよく知られている橋で、折角なので今回は私もここで電車の写真を撮ってきました。
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ところで、写真撮影スポットという点以外でも、この鉄橋には特筆・注目すべき要素があります。
この橋は、阪神なんば線の前身である「阪神西大阪線」開業以来の古い橋梁のため、橋脚の高さが極端に低く(近年の橋であればもっと高い位置に架橋されるはずです)、レールが敷かれている高さも堤防の高さよりも低い位置にあるため、電車に乗ってこの橋を渡ると、電車の窓からは川面が間近に見え、元々長い橋ではありますが実際にはその長さ以上に大河の迫力を感じるのです。

そして、この橋の両端には、その橋脚の低さから下の写真のように、高潮の時に水の浸入を防ぐ目的で、堤防の開口部を塞ぐ防潮扉が設けられています(下の写真はいずれも伝法側の防潮扉です)。
橋の両岸は海抜ゼロメートル地帯で、しかも橋そのものが極端に低い位置に架かっているため、安全のためにはこのような防潮扉が必要不可欠なのです。
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高潮の際にはこの防潮扉が閉められますが、その際は防潮扉によって線路が寸断される事になるため、当然電車は走る事ができなくなります。
今年の3月19日まで、この橋は阪神西大阪線という、都会の中の一ローカル線の橋に過ぎなかったのですが、翌20日、二つの県庁所在都市・神戸と奈良を結ぶ大動脈として阪神なんば線が開業した事により、現在この橋はその路線の一部となっており、そのため、もし淀川の水位が上がると神戸~奈良間の電車がストップする事になります。

ですから、そう遠くない将来、この橋は、防潮扉が必要のない、高い橋脚の橋として、恐らく架け替えられる事になると思います。
橋梁の防潮扉というのは、最近ではあまり見られなくなった、懐かしき“昭和の光景”の一つでもあるのです。
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by bridgelove | 2009-09-26 06:46 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

今回は、今年3月に京都を旅行した際に見学してきた、京都市内を流れる堀川に架かる「戻橋」(もどりばし)という橋を紹介させて頂きます(一条にあるため「一条戻橋」とも呼ばれています)。
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上の写真2枚が、それぞれアングルを変えて撮影した、その戻り橋の全景で、御覧のように現在は何の変哲もないコンクリート造りの普通の橋ですが、かつて平安京の北辺に位置したこの橋は、死者蘇生の伝説や鬼女退治の奇々怪々の話など、多くの伝説・迷信・謎が伝わる怪奇現象の現場として有名な橋でもあり、また、陰陽師・安倍清明所縁の橋(清明はこの橋の下に式神を隠していたと云われています)でもあった事から、今でも京都を代表する魔界スポットとして知られる橋です。
ちなみに、安倍清明を御祭神としてお祀りしている清明神社は、この橋のすぐ近くに鎮座しています。
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平安時代の延喜18年(918年)、文章(もんじょう)博士・三善清行(みよしきよつら)が72歳という、当時としてはかなりの高齢で亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってきたのですが、その時、その葬列は丁度この橋の上を通っている所でした。
鉢を自在に飛ばして物を運び、傾いた八坂の塔を一晩で戻した云われる程の法力豊かな僧であった浄蔵は、柩にすがって泣き悲しみ、「今一度父に会いたい」と神仏に熱誠を込めて祈願した所、何と父清行はその場で蘇生し、浄蔵と父子物語を交わし、その7日後、清行は再び帰らぬ人になったと云われています。
「戻橋」という橋の名は、その伝説から名付けられたと云われています。

戻橋は、現在では何事もなかったかのように大勢の人が行き交う橋ですが、戻橋という名前故、かつては、戦場に出征する時や旅行・出張に出かける時などは「無事に戻れるように」という願を掛けてこの橋を渡る人が多く、逆に結婚式の行列などは、「出戻らないように」という理由から、この橋を通る事は避けられてきました。
また、「故人が戻る事がないように」という意味から、現在でも霊柩車もこの橋は避けて通ると云われています。
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by bridgelove | 2009-08-18 06:23 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

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よく知られているように、大阪の繁華街「ミナミ」の中心部には、道頓堀という運河が流れています。大阪市内を流れる木津川と東横堀川を結ぶ全長約2.5kmの運河です。

その道頓堀に架かっている橋の中でも最も有名なのは、やはり、御堂筋橋のすぐ東隣に架橋されている戎橋(えびすばし)でしょう。
戎橋は、ミナミを象徴する風景の一つである「グリコの看板」のすぐ近くにある橋として、また、阪神タイガース優勝時には道頓堀に飛び込む若者が続出した橋として、更に、客引きやナンパが多い事から「ひっかけ橋」や「ナンパ橋」などと称され橋として、全国的にも知名度の高い橋で、1日平均約20万人(休日は約35万人)がこの橋を通行していると云われています。
テレビ番組の街頭インタビューなども、よくこの橋の上で行われています。

貼付の写真は、私が京都に在住していた当時(今から6年半程前)撮影した戎橋です。
当時の橋は、大正14年に建設された鉄筋コンクリート製の橋でしたが、その後架け替え工事が行われ、昨年11月に、82年ぶりとなる架け替え工事が無事完了しました。
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by bridgelove | 2009-05-23 05:49 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)