カテゴリ:中部・近畿の橋( 32 )

前回の記事にも書いたように、私は今年の5月に関西に行ってきたばかりなのですが、先週も、また関西へと行ってきました。
今回は、2泊3日の日程で主に大阪・京都・奈良方面を回ってきたのですが、今回の旅行の主目的は観光ではなく、奈良市内の神社で斎行される結婚式と、同市内で開催される結婚祝賀会に、媒酌人として参列するためでした。

幸い、日程の2日目には時間に余裕があったので、奈良に行く前に、京都府宇治市に立ち寄り、「宇治茶と源氏物語のまち」として知られる宇治の市内(とは言っても実際には宇治駅の周辺だけですが)を少し散策してきました。
宇治では、古くから宇治の産土神様として知られている「宇治神社」や、本殿が日本最古の神社建築物で世界文化遺産にも登録されている「宇治上神社」などを参拝・見学してきましたが、橋好きの私としては勿論、「瀬田の唐橋」や「山崎橋」と共に日本三古橋のひとつに数えられる「宇治橋」も、ちゃんと見学してきました(笑)。

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ちなみに、三重県伊勢市の五十鈴川に架かる宇治橋もかなり有名な橋ですが、今日の記事で取り上げる京都府宇治市の宇治川に架かる宇治橋とは、同名ではありますが全く別の橋です。
伊勢の宇治橋については、以下の4本の記事で紹介しておりますので、興味のある方は御一読下さい。
http://bridgelove.exblog.jp/7813516/
http://bridgelove.exblog.jp/15157886/
http://bridgelove.exblog.jp/15157886/
http://bridgelove.exblog.jp/17529007/


今回私が見学し実際に渡ってきた宇治橋は、1370年前の大化2年(646年)に初めて架けられたとされる、日本最古級の橋です。伊勢の宇治橋も凄い橋ですが、こちらの宇治橋も、負けず劣らずかなり凄い橋なんです(笑)。
宇治の宇治橋架橋の由来が刻まれた橋寺放生院の「宇治橋断碑」(日本現存最古の石碑のひとつとされ国の重要文化財にも指定されています)によると、道登(どうと)という名の大和国元興寺の僧侶が、この宇治橋を架橋したとされています。但し、続日本紀では道登ではなく道昭とされていますが。
もっとも、宇治橋はその長い歴史の中で、洪水・地震・戦乱などにより幾多の被害を受け、その都度架け直されているため、日本最古級の橋とはいえさすがに1370年も前の創建当時の橋が現存しているわけではなく、現在の宇治橋は、平成8年3月に竣工したものです。

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ちなみに、宇治橋が架橋されている宇治川は、上流(琵琶湖から流れ出た直後)は「瀬田川」といいますが、中流からは「宇治川」と名前が変わり、そして、桂川・木津川との三川合流地点からは「淀川」と名前が変わり、最終的には、関西有数の大河「新淀川」となって大阪湾に注いでいます。


現在の宇治橋は、長さは155.4m、幅は25mあり、桧造りの高欄は、橋の姿が宇治川の自然や橋周辺の歴史遺産と調和するように、擬宝珠を冠した木製高覧という伝統的な形状が採用されています。桁隠しや流木除けなども、歴史的な情緒を醸し出しています。
上流側に張り出した「三の間」は、橋の守り神である橋姫を祀る場とされ、また、秀吉が茶の湯に使う水を汲ませた場所ともされ、今も茶まつりの時にはここで、名水汲み上げの儀式が行われています。

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また、宇治橋は、平安時代前期の勅撰和歌集「古今和歌集」や、紫式部の「源氏物語」などの古典文学の舞台とされたり、絵画や工芸品といった美術作品にも描かれるなど、古くから景勝の地・宇治の象徴としても親しまれてきました。
源氏物語の全編五十四帖のうち、特に最後の十帖は宇治川が舞台となっており「宇治十帖」とも呼ばれています。

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by bridgelove | 2016-07-19 22:31 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

道頓堀と戎橋の風景

昨年11月に2泊3日の日程で京都・大阪方面を旅行してきた際、3日目のお昼頃に、大阪ミナミの道頓堀の辺りも散策してきました。
道頓堀では、たまたま航行中の船舶も見かけました。以下の写真は、道頓堀に架かる橋の中でも最も有名な「戎橋」の下を通過するその船です。
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戎橋については、平成21年5月23日の記事平成25年11月17日の記事などで解説しましたので、その詳細はここでは割愛します。

大阪ミナミの定番スポット「グリコの看板」は、戎橋のすぐ近くにあります。
今回は、そのグリコの看板の真下で、道頓堀や戎橋の情景を楽しみながら地元名物の串カツを食べてきました。美味しかったです!
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そして串カツを食べた後は、道頓堀のすぐ近くにある、「夫婦善哉」などで有名な法善寺横丁を歩いてきました。道頓堀の界隈は見る所が多く、個人的には好きな一帯です。
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by bridgelove | 2015-03-28 21:22 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

先週、1泊2日という短い日程ではありましたが、大阪方面(主に大阪市と堺市)を旅行してきました。
但し、1日目は夕方まで普通に仕事があったため、夜に新千歳空港を発つ便に乗り関空へ向かったので、大阪周辺を見て回れる日は、事実上、その翌日の1日のみでしたが。

2日目の午前中、私は大阪市内の西九条駅から桜島線(通称:JRゆめ咲線)の電車に乗って終点の桜島駅まで行き、同駅から徒歩で天保山渡船場(桜島側)まで行き、そこから渡し船に乗って安治川河口を横断して天保山渡船場(築港側)へ渡り、そして、そこから徒歩で大阪港駅まで行って、大阪市営地下鉄中央線(コスモスクエア行き)に乗ったのですが、その移動の過程で(具体的には、桜島駅から築港側の天保山渡船場までの移動中に)私の眼前に見えたのが、この、天保山大橋(てんぽうざんおおはし)です。

天保山大橋は、阪神高速5号湾岸線の一部となっている、安治川河口に架かる全長640mの3径間連続鋼斜張橋で、阪神高速道路が安治川を跨ぐため平成2年に架橋されました。
大阪市此花区桜島と同市港区築港とを結んでおり、安治川を大型船が航行出来るように航路幅や橋の高さが確保されていて、中央径間長は350m、主塔高は152m、桁下高は45mあります。

以下の写真はいずれも、桜島駅前から見上げて撮影した、天保山大橋です。間近で見ると、やはりデカイです。
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以下の写真も桜島駅前から撮影したもので、これは、地上から主塔の頂上まで、主塔外壁に沿って進むらしいリフト(エレベーター)のゴンドラとそのレールを撮影したものです。橋の保守・点検・整備等に使われるのでしょうが、個人的には、こういった設備もとても興味深いです。
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この橋にほぼ沿って、前出の渡し船が運行されているのですが、以下の写真はいずれも、その渡し船の船上から撮影した、天保山大橋です。こうやって全景を見ると、やはり美しい橋です。
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この橋のすぐ近くには、世界最大級の水族館「海遊館」や、その海遊館を含む一連の商業施設「天保山ハーバービレッジ」、そして、関西を代表するテーマパークのひとつである「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」などがあり、それらと合わせてこの橋自体も、大阪の新しいシンボルゾーンとなっているこの一帯のランドマークとなっています。

ちなみにこの橋は、その技術の高さから「平成2年度 土木学会田中賞(作品部門)」を受賞しています。
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by bridgelove | 2014-10-15 06:43 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

先月下旬、関西(主に天橋立や大阪など)を旅行した際、神戸にも立ち寄ってきたのですが、神戸では、東神戸港に浮かぶ総面積580haの人工島「六甲アイランド」や、神戸の都心・三宮からは目と鼻の先にある神戸港内に浮かぶ総面積826haの人工島「ポートアイランド」、そのポートアイランド沖の南約1kmに浮かぶ「神戸空港島」などの、各人工島にも行ってきました。

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これら三島のうち、六甲アイランドと本土は「六甲ライナー」という新交通システムで、ポートアイランドや神戸空港島と本土は「ポートライナー」という新交通システムでそれぞれ結ばれているため、今回はこれらの新交通システムも利用してきました。

新交通システムというのは、鉄道の一種に分類される交通機関であり、その定義はいろいろあるのですが(広義と狭義の定義とでも意味が異なってきます)、ここでは、「自動運転により、高架上の専用軌道を案内軌条に従ってゴムタイヤで走行する、中量輸送の旅客輸送システム」とさせて頂きます。
この定義に基づく国内の代表的な新交通システムとしては、前出のポートライナーや六甲ライナーの他、東京の「ゆりかもめ」や「日暮里・舎人ライナー」、埼玉の「ニューシャトル」、横浜の「金沢シーサイドライン」、大阪の「ニュートラム」、広島の「アストラムライン」などが特に知られています。


私が今回、神戸でまず最初に乗った新交通システムは、六甲ライナーです。
ポートライナー同様、路線の全線が高架橋(そのため駅も全てが高架駅)で、まず、起点の住吉駅から終点のマリンパーク行きの列車に乗り、六甲アイランドのほぼ中央に位置するアイランドセンター駅で一旦下車しました。そして、駅周辺を少し散策してから、再びアイランドセンター駅からマリンパーク行きに乗車しました。終点のマリンパーク駅では改札からは出ず、そのまま直ぐ折り返して住吉行きの列車に乗りました。

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下の動画は、私がマリンパークから折り返して乗った住吉行き列車の、マリンパーク~アイランドセンター間で、先頭車から撮影した正面展望です。
展望を著しく妨げる程ではなかったものの、御覧のようにこの時は小雨が降っていました。



そして、六甲ライナーに乗った翌日は、神戸から札幌へと帰るため、神戸市中心部の三宮駅から神戸空港駅まで、ポートライナーに乗りました。

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下の動画は、私が三宮から乗った神戸空港行き列車の、ポートターミナル~中公園間で、先頭車から撮影した正面展望です。
真っ赤なアーチ橋は、ポートアイランドと本土を連絡する神戸大橋です。私の隣に座っていた親子の会話がそのまま収録されてしまっているのは御容赦下さい(笑)。




港湾地区を走る高架橋からの見晴らしは、見応えがあって個人的には結構好きです。
そういえば、やはり港湾地区を走る、東京モノレールからの車窓も私は好きです。


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by bridgelove | 2014-04-05 04:11 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

先週関西を旅行した際、松島・宮島と共に日本三景のひとつとして知られる「天橋立」(あまのはしだて)を見てきました
天橋立とは、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる、全長3.6kmに及ぶ砂州で、古代より奇勝・名勝として知られてきました。
神話(風土記)によると、イザナギノミコトという神様が天に通うために梯子を作って立てたため「天の橋立」という名になり、その梯子がイザナギノミコトの寝ている間に地上に倒れて現在の姿になったとされています。

その天橋立の南端で、面白い橋を見てきました。
大橋立と小橋立を結ぶ橋で、一見、よくある“和風のちょっとお洒落な橋”ですが、実はこの橋、船がここを航行する度に90度回転する可動橋なのです。
この旋回橋は、以下の地図(天橋立の広域図と拡大図)上の、赤線の円で囲まれている場所に架橋されています。
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この橋は、大正12年に人力で動く可動橋として完成し、昭和30年代に電動式となり、現在、多い日には約50回旋回するそうです。生憎、私が見ていた時は一度も旋回しませんでしたが…。
警報機や遮断機等は無く、橋の北側に操作室が設置されているだけなので、遠くから一見するだけでは旋回橋とは気づき辛いです。
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by bridgelove | 2014-03-25 07:12 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

先週、2泊3日の日程で大阪・京都方面を旅行してきた際、1泊目は、大阪なんばのビジネスホテルで宿泊してきたのですが、2日目の早朝は、そのビジネスホテルから歩いて、大阪随一の繁華街ミナミを東西に流れる道頓堀川へと行き、道頓堀川(日本橋~浮庭橋間の両岸)の水辺に設けられている「とんぼりリバーウォーク」という遊歩道を歩いてきました。この遊歩道は、平成16年12月に設置されたそうです。
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そして、とんぼりリバーウォークの東端に位置する日本橋から、西端手前の深里橋まで、8本の橋を見学してきました。以下に、その8本の橋を紹介させて頂きます。


① 日本橋

初代の日本橋は、元和5年(1619年)に江戸幕府によって架橋され、水陸交通・経済・軍事において重要な交通路であった事から、江戸の日本橋と同じく公儀橋でした。その後何度か架け替えが行なわれ、現在の橋は昭和44年に架橋されました。とんぼりリバーウォークの東端に位置する橋で、私は今回、ここから遊歩道を歩いてきました。
ちなみに、大阪の日本橋は「にっぽんばし」、東京の日本橋は「にほんばし」と読みます。
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② 相合橋

近松門左衛門の浄瑠璃「心中重井筒」の一節にも中橋として登場している橋で、当初は「中橋」もしくは「新中橋」と呼ばれていましたが、後に、南側の芝居町と北側の遊女町を結ぶ艶なる橋ということから「相合橋」と呼ばれるようになりました。
昭和37年に架け替えられた現在の橋は、土木学会関西支部による「浪速の名橋50選」に選定されています。
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③ 太左衛門橋

風情が感じられる木製の橋で、橋名は、橋の東南角で歌舞伎の小屋を開いた興行師大坂太左衛門に由来するそうです。昭和33年に架け替えられた現在の橋は、規模は江戸時代のものとほとんど変わりませんが、3径間連続の合成桁という最新の技術が試されている実験的な橋でもあります。
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④ 戎橋

繁華街ミナミの中心に位置し、すぐ傍に巨大なグリコランナーが描かれている「グリコネオン」がある事でも有名な橋です。そのため観光客も多く、1日平均20万人(休日は35万人)もがこの橋を通行しています。橋の架設は、道頓堀川の開削とほぼ同時であったのではないかと云われています。
かつてはナンパスポットとしても有名だった事から、「ひっかけ橋」という異名もありました。
なお、戎橋については、平成21年5月23日の記事でも取り上げさせて頂きました。
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⑤ 道頓堀橋

一般には「御堂筋」と称される、大阪の中心部を南北に縦断する国道25号(現代の大阪市における南北幹線の基軸)が走る橋です。
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⑥ 新戎橋

初代の橋は明治26年に架橋され、その後、大正9年に架け替えられた後、戦災で焼け落ちました。
現在の橋は昭和38年に架け替えられたもので、昭和26年に架橋された先代の橋のの高欄が朱色であった事から、フレームに朱色を取り入れ、更に、歩道に白御影石、地覆に黒系の塗装を施す事で、高欄フレームの朱色と調和を図っています。
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⑦ 大黒橋

大黒橋が初めて架けられたのは、元和元年(1615年)に道頓堀川が開削されて間もない頃で、江戸時代初期の地図によると当初は「難波橋」または「下橋」と称されていたようですが、この橋が木津の大黒神社への参道にあたる事から、元禄時代以降は大黒橋と称されるようになりました。昭和5年に架橋された現在の橋は、重厚な雰囲気を醸し出す鉄筋コンクリートのアーチ橋です。
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⑧ 深里橋

初代の橋は、明治41年に市電の敷設事業によって架橋されました。市電が廃止されたため、現在は道路橋となっています。三径間のゲルバー式鋼鈑桁で、昭和時代初期らしい風格が漂っています。
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by bridgelove | 2013-11-17 19:10 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

平成21年3月、京都市内を散策してきた際、私は、京都中心部の歓楽街を流れる高瀬川や、高瀬川に架かる橋、その周辺の景色なども観てきました。

高瀬川は、水運によって京の中心部と伏見を結ぶため、江戸時代に嵯峨の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が鴨川を分流して開いた運河で、大正時代に文豪・森鴎外が著した小説『高瀬舟』などで全国的にもその名が知られている川です。
但し、水運は大正9年を最後に行われておらず、現在の高瀬川は、私が住んでいる札幌でいえば鴨々川や創成川くらいの水量の、小さな川です。
ちなみに、高瀬舟とは、水深の低いこの川専用に造られた、底が平たく舷側の高い小舟の事で、最盛期には一度に百数十艘もの高瀬舟がこの川を航行していたそうです。

高瀬川を航行する高瀬舟の荷物のあげおろしをする船溜所「船入」は、高瀬川に9か所造られましたが、下の写真3枚はいずれも、その船入のひとつ「一之船入」です。
一之船入は、江戸時代の交通運輸の貴重な遺跡として、史跡に指定されています。
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以下の各写真は、高瀬川に架かる橋や、高瀬川周辺の景色です。
川の両岸に植えられた柳の景観は、この辺り一帯の情緒の大きな要素となっています。
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ところで、私はかつて2年間、京都府八幡市に住んでいて、京都市内へもよく行っていたのですが、私はその当時から、高瀬川と隣接している建物や、その建物の構造等を見る度に、よくこう思っていました。
「いくら小さな川とはいえ、水面から30~40cm程度の高さの所に窓・テラス・換気扇が設置されているってどういう事?川の水量が増す事を全く考慮していないのでは?もし川が増水したら、床上浸水確実じゃん」と。

高瀬川の水は鴨川にある取水口から取り入れられているので、鴨川の増水時は、取水口にあると思われる水門なり弁なりで常に適切に水量を調節しているのかもしれませんが、しかし、もし鴨川が増水した時に機械的・物理的な故障、電気的な故障、人為的なミスなどでそういった設備が正常に動作しなくなったら、その時はどうなるのでしょうか。
多分、今まで一度もそういった事がなかったからこそ、高瀬川周辺の建物は、川が増水する事を想定した造りにはなっていないのでしょうが、しかし今後もずっとそういった事態が起こらないという保障はないと思うのですが…。

それとも、高瀬川が増水した時にだけ使われる、増水した水を逃すための秘密の地下水路とかでもあるのでしょうか?
もし高瀬川が増水したらどうなるのか、という疑問を一度京都在住の人に訊いた事もあったのですが、その時は、「まぁ大丈夫なんじゃないの」と軽く流されてしまいました(笑)。
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by bridgelove | 2013-07-29 06:14 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

今月中旬、私は2泊3日の日程で、京都府・滋賀県・大阪府の三府県を旅行してきました。
滋賀県の大津では、日本有数の観音霊場であり紫式部所縁のお寺としても知られる石山寺を参拝し、その後は、かつて延喜式内名神大社、近江国一之宮とされた古社・建部大社もお参りしてきたのですが、石山寺から建部大社まではそれ程遠くない事から歩いて向かい、その際に、私は瀬田の唐橋を渡ってきました。

瀬田の唐橋は、京都府宇治市の宇治橋(伊勢の宇治橋とは別です)、京都府大山崎町・八幡市の山崎橋(現存していません)と共に、日本三名橋の一つとされており、初めて架けられた時期は定かではありませんが、日本書紀にも登場しているのでかなり古い橋である事は確かです。
日本最大の湖である琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、そのため、東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかなく、そういった事情から瀬田の唐橋は京都防衛上の要所であり、古来より「唐橋を制する者は天下を制する」と云われ、古代から壬申の乱をはじめ幾多の戦乱の舞台となり、この橋は戦禍で破壊と再建が繰り返されてきました。
武田信玄も死を前にして、「瀬田橋に我が風林火山の旗を立てよ」と言い残したと伝えられています。

但し、当時の橋は現在の橋よりも300m程下流の位置で、現在のように中州を挟んで西側の小橋と東側の大橋から成る二連型になったのは、織田信長が架け替えてからと云われています。
昭和54年に新しく架け替えられた現在の橋は、木造ではなく鉄筋コンクリート製ですが、クリーム色の欄干に旧橋の擬宝珠をつけた橋の造りは古風で情緒深い昔の姿を留めています。

下の地図で、中州を挟んで瀬田川に架かっているのが、現在の瀬田の唐橋です。
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下の写真2枚は、いずれも唐橋西詰から見た、西側の小橋です。
欄干には、現在の正式名称である「瀬田唐橋」の名が記されています。
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下の写真2枚は、いずれも西側の小橋の全景です。
2枚目の写真ではたまたま車の流れが途切れていますが、基本的に日中は常に交通量が多いようです。
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下の写真は、西側の小橋を渡り終えそうな地点から撮影した、西側の小橋の一部(手前側)と、中州の一部(橋が途切れている所)と、東側の大橋の一部(向こう側)です。
ちなみに、西側の小橋、東側の大橋という言い方は、分かりやすいよう便宜的にここでそう用いているだけで、正式名称でも一般的な通称でもありません。
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下の写真2枚は、唐橋東詰のほうから望んだ、東側の大橋の全景です。
こうして見ると、やはり古風で優美な橋です!
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ところで、「急がば回れ」という諺の発祥も、瀬田の唐橋と云われています。
東から京都へ上るには矢橋の港から大津まで船で移動するのが最も早かったのですが、その航路は比叡おろしの強風を受けやすく、船出や船着きが遅れる事が多々あり、そのため、多少遠回りにはなっても瀬田まで南下して、風の影響を受けずに済む唐橋を渡ったほうが日程に乱れが生じる事がないとして、これを連歌師の宗長が「急がば廻れ」と詠んだとの事です。
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by bridgelove | 2012-09-30 18:48 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

私は先週、研修のため三重県の伊勢に行ってきたのですが、折角の機会なので、伊勢に向う途中、空き時間を利用して京都にも立ち寄って来ました。
京都では、JR京都駅から、京阪本線の七条駅まで歩いたのですが、その際、塩小路橋から撮影したのが、下の写真の七条大橋です。この橋は鴨川に架かる橋で、同じく鴨川に架かる、平成21年3月18日付の記事で紹介した三条大橋より、もっと下流にあります。
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江戸時代、鴨川の七条河原には、中州を挟んで二つの橋が架けられていたのですが、その後それが七条橋という一本の橋になりました。
現在の七条大橋は、京都市電の開業を見据えて、市電の荷重に耐えられる頑丈なアーチ橋として明治44年11月に起工し、大正2年3月に竣工しました。
「RC充腹アーチ」と呼ばれるこのアーチ橋は、黎明期のRCアーチの中でも群を抜いて巨大な橋で、橋長は81.9m、幅員は17.8mあり、鴨川に架かる現存する橋の中ではもっとも古い橋と云われています。

京都駅方面から東に進んで七条大橋を渡ると、橋を渡ってすぐの場所に三十三間堂、智積院、妙法院、京都国立博物館などがありますから、京都市民のみならず、市外から京都を訪れる観光客などにも馴染みのある橋として知られています。
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鴨川筋において明治期の意匠を唯一残す、欧風様式のそのハイカラな風貌には、近代化に勤しんだ当時の京都の面影が濃厚に見られ、産業遺産としも貴重な価値がある事から、七条大橋は平成20年には土木学会から「土木学会 選奨土木遺産」の認定も受けています。

ちなみに、七条大橋の高欄は、戦時中の金属供出により一度撤去され、その後木製やコンクリート製に替えられました。昭和61年にリニューアルされた現在の欄干は、三十三間堂の「通し矢」をモチーフにしたデザインとなっています。
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by bridgelove | 2012-02-28 06:35 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)

今月上旬、仕事関係の研修を受講するため三重県伊勢市へ行って来たのですが、伊勢へと行く途中、少し時間があったので岐阜県岐阜市へ行って、金華山山麓にある岐阜公園を散策してきました。
札幌からは飛行機でセントレア(中部国際空港)へ向かい、一旦名古屋に出てから近鉄特急に乗り換えて伊勢へと向かったのですが、名古屋~岐阜間はJRの新快速に乗ると20分もかからない距離なので、伊勢とは反対の方向ですが折角なので岐阜へも行って来たのです。

岐阜公園には、岐阜城が聳え立つ金華山山頂への登り口やロープウェイ乗り場、織田信長の居館跡、岐阜市歴史博物館、三重の塔など見所が多くあり、岐阜市民の憩いの場として親しまれていますが(札幌でいえば中島公園みたいな感じでしょうか)、私がここで一番気になったのは、やはり橋でした(笑)。
公園と道路の境に小川が流れていて、その小川にはいくつもの小さな石橋が架けられており、なかなか良い風情を醸していました。
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by bridgelove | 2011-07-29 06:32 | 中部・近畿の橋 | Comments(0)