カテゴリ:東北・関東の橋( 25 )

平成23年3月11日、つまり丁度5年前の今日、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源とする、国内では観測史上最大規模となるマグニチュード9.0の大地震「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。
最大震度7というこの大地震によって発生した巨大な津波は、場所によっては波高10m以上、最大遡上高は40mにも上り、岩手県沖から茨城県沖までの広範囲を襲い、そのため東日本各地、特に東北地方と関東地方の太平洋沿岸部は、筆舌に尽くし難い壊滅的な被害を受けました。


この大地震と、それに伴って発生した津波・余震等により引き起こされた一連の災害は、同年4月1日の閣議で「東日本大震災」と総称される事となり、警察庁発表(平成28年3月現在)によると、東日本大震災の死者は15,894人(犠牲者の9割以上は津波にのみこまれた事による溺死でした)、関連死は3,000人以上にも上り、震災から丸5年が経った現在も、未だ2,561人の行方が分かっておらず、また、70人を超える御遺体の身元が分かっておりません。
避難生活を余儀なくされている方も、約18万人もおり、また、直接的には震災の被害が発生しなかった所でも、間接的な被害、即ち風評被害等を受け、農作物や観光客が激減するなどして立ち行かなくなっている地域も多くあり、震災前と同レベルにまで復興するには、確実にまだまだ長い年月がかかります。
つまり、東日本大震災というのは、被災地で暮らす当事者達にとっては未だ“現在進行中の出来事”であり、決して“終わってしまった過去の事”などではないのです。


未曾有の被害をもたらしたその東日本大震災の発生から丁度5年の月日が経った今日、全国の各地では、同震災で亡くなられた方々に対しての追悼行事や黙祷が行われ、今日、日本列島は深い鎮魂の祈りに包まれました。
東京の国立劇場では、天皇・皇后両陛下の御臨席の下、政府主催による「東日本大震災五周年追悼式」が執り行われ、安倍晋三 内閣総理大臣、菅義偉 内閣官房長官、大島理森 衆議院議長、山崎正昭 参議院議長、寺田逸郎 最高裁判所長官や、津波に襲われた岩手・宮城・福島3県の遺族達など約1090人が出席され、国歌斉唱後、東北地方太平洋沖地震の発生時刻である午後2時46分には参列者全員で1分間黙祷し、犠牲となった方々に祈りが捧げられました。

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被災地から遠く離れている私達にも今出来る事、しかも誰にでも出来る事で、そして今後も継続すべき事は、「この震災を決して忘れない」という事です。震災の記憶を風化させる事無く、震災の教訓を後世に伝え、防災意識を高め、復興に向かって心をひとつに行動する事は、同時代を生きる私達日本人全員に課せられた使命でもあります。
些末ながらその一助となるべく、東日本大震災の発生から丁度5年が経った事に因んで今日の記事では、同震災での各地の橋の被害の様子を、写真と共に改めて振り返ってみたいと思います。


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▲ 海岸から800m離れた貞山堀(貞山運河)を一気に飲み込み、そのまま仙台空港に迫る津波。
空港は大きな被害を受け、定期便の運行が再開されるまで、震災発生から4ヶ月もかかりましたが、貞山堀に架かる多くの橋も、大きな被害を受けました。

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▲ 川を逆流した大津波で流された宮城県南三陸町歌津の歌津大橋。
仙台市から太平洋沿岸を経て青森市に至る、日本の東海岸における主要国道のひとつ国道45号は、ここでも寸断されました。

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▲ 津波により橋の一部が崩落した石巻市内の橋と、その橋から落ちそうになっているトラック。
阪神・淡路大震災が、地震の揺れや、地震直後に発生した火災により各所で大きな被害が発生したのに対し、東日本大震災での被害の大半は、津波によるものでした。

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▲ 三陸鉄道北リアス線の島越駅。
10m近い高さがあった高架駅でしたが、津波によってその大半が流失してしまいました。

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▲ JR大船渡線の、気仙川に架橋されていた気仙川橋梁。
この橋梁は、河口からは3km以上もの距離がありましたが、津波はここにまで到達し、橋梁の一部を浚っていきました。

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▲ JR八戸線・宿戸~陸中八木間の、津波により流失した大浜川橋梁。
同区間は八戸線では最も海に近い区間で、長さ40mの大浜川橋梁の橋桁は全て落下しました。

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▲ 国道45号の水尻川付近に架けられた仮設橋。
宮城県南三陸町志津川の同橋では、津波で路面がえぐり取られ、通行不能になりました。


最後に、震災で亡くなられた方々の御霊(みたま)に改めて衷心より哀悼の意を捧げると共に、様々な困難に直面しつつも一歩ずつ着実に復興への歩みを続けられている方々に、心より敬意を表します。


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by bridgelove | 2016-03-11 23:35 | 東北・関東の橋

今回の記事は、前編としてアップした昨日の記事の続きです。
東京スカイツリーのほぼ真下に位置する「おしなり公園船着場」を出発した屋形船は、江戸時代に人工的に作られた水路である北十間川・横十間川・小名木川を経由して、扇橋閘門(おうぎばしこうもん)へと入っていきました。


扇橋閘門は、江東三角地帯を東西に流れる約4kmの小名木川のほぼ中央に位置する、昭和52年に完成した、船のエレベーターともいえる施設で、その構造から「日本のパナマ運河」とも呼ばれています。勿論、実際のパナマ運河に比べると、比較にならない程小規模ではありますが。
具体的には、前後2つの水門(前扉と後扉)に挟まれた閘室(こうしつ)と呼ばれる区間の水位を人工的に変動させる事で、水面の高さが異なっている、小名木川の東側と西側の両区間(小名木川の最東端と最西端では水位が3m程も違います)での船の通航を可能にしています。

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以下の写真はいずれも、このクルーズのメインイベントである、扇橋閘門通過体験の時(後扉のある東側から前扉のある西側への通航時)に撮影したものです。

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以下の写真はいずれも、扇橋閘門を東側から西側へと通過した後に、船上からの景色です。

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▲ 小名木川に架かる新扇橋(大門通)

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▲ 小名木川と大横川が平面交差する地点と、小名木川に架かる新高橋

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▲ クルーズの折り返し地点と、大横川に架かる猿江橋(高橋夜店通)



そして、屋形船は猿江橋が見える場所(上の写真)から折り返し、復路は往路と全く同じルートを辿って、おしなり公園船着場へと戻りました。
以下の写真は、クルーズの終点(おしなり公園船着場)に着く直前に改めて船上から撮影した、北十間川とスカイツリーです。やはりスカイツリーは絵になりますね!

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川面を進む屋形船から望む東京・下町の景色や、沢山の橋の下や扇橋閘門を通航する体験は面白く、個人的にはとても楽しいクルーズでした♪


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by bridgelove | 2015-11-06 23:02 | 東北・関東の橋

私は先月下旬、2泊3日の日程で東京・浜松・熱海方面を旅行してきたのですが、日程2日目の午後は、都内を流れる川で、約1時間20分のクルーズを楽しんできました。

地下鉄の押上駅の直ぐ近く、東京スカイツリーのほぼ真下にある「おしなり公園船着場」を発着する小型屋形船に乗って、江戸時代に人工的に作られた水路である北十間川・横十間川・小名木川を経由して、扇橋閘門(おうぎばしこうもん)へと向い、その閘門を通過してから直ぐに折り返し、またおしなり公園船着場へと戻るというルートの「下町のパナマ運河体験クルーズ」に参加してきました。

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以下の写真は、クルーズの出発・到着場所である、北十間川の「おしなり公園船着場」と、そこに停泊している、今回のクルーズで私が乗船した定員大人12名の小型屋形船です。

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以下の写真はいずれも、おしなり公園船着場から、扇橋閘門に着くまでの間(往路)に私が船上から撮影した、北十間川・横十間川・小名木川に架かる数々の橋です。
屋形船はこれらの橋の下をくぐって、このクルーズの最大の見所である扇橋閘門へと向いました。

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▲ 北十間川に架かる西十間橋

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▲ 北十間川に架かる十間橋(十間橋通)

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▲ 写真右側の橋が、横十間川に架かる柳島橋(都道453号・浅草通)

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▲ 横十間川に架かる神明橋

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▲ 横十間川に架かる栗原橋

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▲ 横十間川に架かる天神橋(都道315号・蔵前橋通)

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▲ 横十間川に架かる錦糸橋

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▲ 横十間川に架かる、名称不明の鉄道橋(JR総武本線)

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▲ 横十間川に架かる松代橋(国道14号・京葉道路)

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▲ 横十間川に架かる旅所橋

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▲ 横十間川に架かる亀島橋(首都高速7号・小松川線)

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▲ 横十間川に架かる清水橋

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▲ 横十間川に架かる本村橋(都道50号・新大橋通)

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▲ 横十間川に架かる大島橋

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▲ 横十間川と小名木川が平面交差する地点に架かるクローバー橋(歩道橋)

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▲ ひとつ前の写真と同じ、クローバー橋

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▲ 小名木川に架かる小名木川橋(都道465号・四ツ目通)

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▲ 小名木川に架かる小松橋


2本の川が交差する、川の交差点なんて、自然の川ではまず有り得ない事で、やはりこれらの川は人工的に造られた水路である事を実感しました。
そして、小松橋を過ぎるといよいよ船は、このクルーズのハイライトともいえる、下町のパナマ運河こと扇橋閘門を通過します!

後編に続く)


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by bridgelove | 2015-11-05 23:19 | 東北・関東の橋

前回の記事で書いたように、私は先月上旬、1泊2日で東京方面を旅行し、東京では、1/1スケールで再現されている実物大のガンダム立像(全高約18m)を見るためお台場に行ってきたのですが、ガンダム立像やその周辺を一通り散策した後は、お台場から新交通システムの「ゆりかもめ」に乗って新橋へと移動しました。
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そして、お台場から新橋への移動中に、ゆりかもめの車内から見えたのが、下の写真に写っているレインボーブリッジ(東京港連絡橋)です。
日頃ゆりかもめを利用している人達にとっては、特にどうという事のない日常の景色なのでしょうが、私にとっては、間近に見るレインボーブリッジというのはなかなか新鮮でした。
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ちなみに、これはたまたま車内から見えた景色なのですが、新橋への移動中、アーチ橋の橋桁がクレーン船で運搬されている様子が見えました。これは、なかなか珍しい光景だと思います。
このような大きな物体を解体・分割等せずにそのまま運べるのは、海上輸送の大きな利点の一つですね。道路を使うにしろ鉄道を使うにしろ、陸上輸送ではまず不可能ですから。
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そして新橋に着いた後は、東京タワーにも行ってきました。東京タワーに行くのは、私にとっては多分20年ぶりくらいだったと思います。
下の写真2枚は、東京タワーの展望台から撮影してきたレインボーブリッジです。林立する高層ビル群と高架橋と巨大な吊橋と海という組み合わせが、実に東京の湾岸らしい景観です。
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by bridgelove | 2014-06-23 04:47 | 東北・関東の橋

先週、1泊2日という短い日程ではありましたが、東京方面を旅行してきました。
但し、1日目は夕方まで普通に仕事があったため、夜に新千歳空港を発つ便に乗り東京へ向かったので、東京やその近郊を見て回れる日は、事実上、その翌日の1日のみでしたが。

東京では、1/1スケールで再現されている実物大のガンダム立像(全高約18m)を見るため、大崎からりんかい線(東京臨海高速鉄道)に乗ってお台場へと行ってきたのですが、お台場からは、東京港の新しいランドマークとして親しまれるようになった「東京ゲートブリッジ」も見る事が出来ました。
下の写真2枚は、お台場の高台から望んだ、その東京ゲートブリッジです。
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東京ゲートブリッジは、東京港第三航路(東京東航路)を跨いで中央防波堤外側埋立地と江東区若洲を結ぶ、全長2,618m、海上を跨ぐ区間1,618m(これはレインボーブリッジ横浜ベイブリッジの約2倍に相当します)、幅員24mの、巨大なトラス橋です。平成24年2月に開通しました。
建設時は、仮称として東京港臨海大橋と呼ばれていましたが、平成22年に、12,223件の一般公募の中から「東京ゲートブリッジ」の名称が選ばれ、以後はその名前で呼ばれるようになりました。
2匹の恐竜が向かい合っているかのような特異な形状をしている事から「恐竜橋」と呼ばれる事もあるそうです。

建設地が羽田空港に近く航空機の飛行ルート上にあるため、航空法により橋の高さに制限(98.1m以下)が課され、また、東京東航路を通る大型船舶が問題無く航行出来るよう、中央部の橋桁下は海面から54.6mの高さを、中央部の橋脚間の距離は440mを確保する必要があり、それらの条件をクリアするため、吊り橋や斜張橋ではなく、三角形に繋いだ鋼材を組み合わせて橋桁の荷重を分散するトラス構造が採用され、このような特異な形状の橋になりました。

下の写真は、お台場を見学した後に行ってきた東京タワーの特別展望台(高さ250m)から望んだ東京ゲートブリッジです。機能的でありながらも、実に独特なデザインの橋です。
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今回はあくまでも遠くから見ただけで、私は実際にはまだ東京ゲートブリッジを渡っていないので、次に東京港方面に行く機会があった時は、この橋を渡ってみたいと思います。
ちなみに、東京ゲートブリッジには、4車線の車道と、歩道が設けられています。車道は高速道路ではなく一般道路なので、車両は無料で通行する事が出来ますが、原付(50cc以下)や自転車は、車道・歩道共に通行出来ないそうです。

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by bridgelove | 2014-05-15 05:40 | 東北・関東の橋

東京の芝浦地区とお台場地区を結ぶ、お台場のランドマークとして全国的にも広く知られている吊橋「レインボーブリッジ」については、平成20年10月31日の記事でも紹介しましたが、本日(平成25年8月26日)を以て、そのレインボーブリッジが開通してから、丁度20年が経ちました!

正式名称を「東京港連絡橋」という、首都高速(11号台場線)・臨港道路・新交通システム(ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線)からなる複合交通施設でもある橋長798mのこの吊橋は、都心と、東京臨海部に建設される副都心部とを結ぶ基幹交通施設として、昭和62年に着工しました。
そして、着工から約6年の歳月を経て平成5年に竣工し、同年8月26日に開通したので、レインボーブリッジは今日で丁度満20歳を迎えた、という事になります。

以下の写真はいずれも、私が平成20年10月に東京方面を旅行した際に撮影してきたレインボーブリッジの景色です。
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海とビル群の景色や夜景などの眺望が良好な事から、レインボーブリッジは週末のドライブコースとしても人気があり、それが要因でレインボーブリッジ周辺の道路は渋滞となる事もあるそうですが、生憎私は、レインボーブリッジを車で走った事はまだ一度もありません。ゆりかもめに乗って通った事はありますが。
もし、東京を車で走る機会があったら、その時は是非レインボーブリッジを走ってみたいです。
夜間は橋の主塔やメインケーブルなどがライトアップされるため、レインボーブリッジそのものも綺麗な夜景の一部となるそうですから、夜は、少し離れた所から改めてレインボーブリッジの全景を見てみたいです。

ちなみに、レインボーブリッジの主塔の高さは120mあり、これは40階建ての超高層ビルとほぼ同じ高さに相当します。
かなりの高さですが、世界最長の吊橋である明石海峡大橋の主塔の高さは289mですから、その倍以上もの高さがあり、明石海峡大橋の巨大さにも改めて驚かされます。
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by bridgelove | 2013-08-26 19:52 | 東北・関東の橋

今年の6月上旬、私は2泊3日の旅程で福島県の会津地方を旅行し、会津若松市内では、白虎隊の聖地として知られる飯盛山と共に会津観光の双璧を成す、国史跡の鶴ヶ城(若松城)も見学してきました。

鶴ヶ城は、足利義満の時代に葦名氏が東黒川館を築いたのが始まりと云われ、その後、蒲生氏郷が七層の立派な天守閣を築き、加藤時代に現在のような五層の天守閣になりました。
加藤氏が改易された後は、徳川親藩の保科氏(会津藩主となった保科氏は3代目藩主から松平を名乗るようになりました)が入封し、以後、明治維新まで会津松平家の居城となり、戊辰戦争(会津戦争)ではここで一ヶ月にも及ぶ壮絶な籠城戦が行われました。
その籠城戦では、官軍を名乗る薩長などの連合軍による執拗且つ正確な砲撃により城内に多数の戦死者が出ますが、ついに落城する事はありませんでした。しかし、会津藩の降伏により城は薩長軍に開城し、明け渡され、明治7年に、阿弥陀寺に移築された御三階を除く城内全ての建物が取り壊されてしまいました。
現在鶴ヶ城のシンボルになっている美しい天守閣は、昭和40年に鉄筋コンクリート造により復興・再建されたものです。

下の写真は、その鶴ヶ城で私が見学してきた、本丸と二の丸を連絡する「廊下橋」です。
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加藤時代以降は裏口のような扱いになりましたが、蒲生時代までは、廊下橋の架かっているこちらのほうが鶴ヶ城の正面入口だったそうです。
葦名時代には廊下に屋根が付いていたらしく、廊下橋の名の由来はそこにあり、加藤時代に廊下を壊して橋だけにしてしまったという事です。
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扇のように緩い曲線を描いている扇の勾配と呼ばれる石垣は、高さが20mもありますから、有事の際は、この橋を落とせば敵は本丸には容易には近づけなかったと云われています。
つまり、平成21年12月5日の記事で紹介した彦根城の廊下橋同様、この橋も、「落とし橋」としての機能を備えているのです。
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by bridgelove | 2012-08-02 06:44 | 東北・関東の橋

ほぼ一年前の昨年2月、2泊3日の旅程で東京・千葉方面を旅行した際、東京都江東区富岡の八幡掘遊歩道を歩いていてたまたま見つけたのが、遊歩道脇に陸揚げされて保存・展示されていたこの「旧新田橋」です。

この橋の概要については、橋のすぐ近くに立てられていた看板に詳しく書かれていたので、以下にその看板の写真をそのまま掲載します。この写真は、クリックすると拡大表示されるので更に読みやすくなります。
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下の写真3枚が、この橋の現在(平成23年2月)の状況です。このように、本来の場所から遊歩道脇の芝生へと移動させた上で保存・展示されていました。
ちなみに、1枚目の写真で左奥に小さく見える赤いアーチ橋は、国の重要文化財に指定されている「八幡橋」です。
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昭和時代初期から、東京下町の人々の生活や歴史の移り変わり、出会いや別れ、様々な人間模様を静かに見守り続けてきた、小さいけれども“歴史の生き証人”ともいえる貴重な人道橋です。
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by bridgelove | 2012-02-17 06:04 | 東北・関東の橋

今月中旬、私は、2泊3日の日程で宮城県内を旅行してきたのですが、3日目には、仙台市内在住の友人の案内により、同市若林区の荒浜地区に行ってきました。
荒浜地区は、今年3月11日に発生した東日本大震災では高さ10mもの巨大津波に飲み込まれ、仙台市内に於いては特に壊滅的な被害を受けた地区です。

今回、私があえて荒浜地区に行ってきたのは、この度の大震災や大津波とはどういったものであったのか、テレビやネットなどで得られる情報だけではそれはどうしても実感としては伝わりきらない部分があるので、直接現地に赴く事で、自分の目や肌によりそれを直に感じてみたかったからです。
また、防災や消防に関わる自治体の消防団員(もし札幌で大震災が発生したとしたら間違いなく出動する事になるであろう立場)としても、そして、この大震災の現実を後世に語り継いでいくためにも、被災地を直接訪問する事は私にとって必要な事であろうと思ったのです。
そのため、被災地を訪れるというのは、私にとっては今回の旅行の重要な目的の一つでした。

私が見てきた限りでは、現在の荒浜地区(主に海側)は、住んでいる人はほぼ皆無で、残念ながらコミュニティーとしてはほぼ全滅してしまっていました。
一部を除いて、瓦礫だけはほとんど撤去されていましたが、津波が押し寄せるまでは住宅街であったにも拘わらず今では家は全く残っておらず(荒浜小学校の校舎と体育館以外、建物らしき物はほとんど現存していません)、しかし、建物は無くても家の土台(基礎)だけは残っているので、かつてここが住宅地であったという痕跡はしっかりと残されており、そこにあったであろう家やその家に住んでいた人達が津波で流されてしまった事を思うと、胸が締め付けられるような思いがしました…。

以下は、荒浜地区を流れる貞山堀(ていざんぼり)という運河と、そこに架かっていた橋の写真です。
貞山堀は、海岸と垂直方向に流れている水路ではなく、かなりの長い距離を海岸と並行して直線に流れている水路で、そのため、押し寄せた津波や引き寄せた津波に飲みこまれて瓦礫と化した様々な物は、大きな溝となっているこの水路に集中して蓄積され、震災から9カ月経った今では普通に水が流れていますが、震災の直後、この水路は津波により流された無数の車でほぼ完全に埋まっていたそうです。
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貞山堀の周囲ではほぼ全ての建物が流されていましたが、この橋は、津波を遮る形ではなく津波の進路と同方向に架橋されていたため、一部破損はしたものの、流失はされずこの地に残っていました。

下の写真は、貞山堀のすぐ近くで撮影した、かつて住宅が建ち並んでいた場所です。
津波に襲われる前は一戸建ての住宅がこの地に軒を連ねていたそうですが、御覧のように今は住宅の基礎部分が残るのみです。
住宅の跡地にはお花が供えられているところもあり、そういった光景を見ると、確実にここで人が亡くなったのだという事をリアルに実感させられます。ここではこのような光景が延々と続いていました…。
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下の写真は、今回の旅行中に私が仙台市内の書店で買った「緊急出版 特別報道写真集 巨大津波が襲った 3・11大震災 ~発生から10日間の記録~」という、河北新報社から出版された写真集から取り込んだ画像で、震災発生の1週間後に空撮された荒浜地区の様子です。
この写真は、クリックすると拡大表示されるので、是非拡大の上御覧下さい。海岸と並行している貞山堀の流れ方や、津波により壊滅してしまったその周辺の様子などがよく分かるかと思います。
ちなみに、右ページに写っている橋が、この記事の1枚目の写真で柵だけが写っている手前側の橋で、左ページの右端に写っている橋が、この記事の1枚目や2枚目の写真に写っている、柵が一部破損している橋です。
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警察庁によると、12月8日現在、東日本大震災による死者は15,841人(死者と行方不明者の合計は19,334人)で、このうち最も死者が多く出た県は宮城県で9,505人、次いで岩手県の4,665人、福島県の1,605人という順になっているので、宮城県は他県に比べて死者の数が突出しており、これは主に津波による犠牲者といえます。

今回、私は荒浜地区を歩いてきて、この現実は決して風化させてはいけない、この大震災をきっちりと後世に語り継いでいく事こそが、生き残った人達や、災難を免れた私達の責務だな、と強く思いました。
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by bridgelove | 2011-12-27 05:47 | 東北・関東の橋

前回の記事で書いたように、私は今月中旬、東京方面を旅行してきたのですが、旅行2日目の早朝は、横浜市にあるJR鶴見駅から鶴見線(横浜市と川崎市に跨って京浜工業地帯の臨海部を走る路線)の電車に乗って、同線の支線の終点・海芝浦駅に行ってきました
下の写真は、その海芝浦駅のホームから眺めてきた、三径間連続鋼斜張橋の「鶴見つばさ橋」です。
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鶴見つばさ橋は、首都高速湾岸線の扇島と大黒埠頭とを結んでいる、御覧のようにとても美しい斜張橋で、横浜ベイブリッジと共に横浜を代表する橋のひとつです。
中央径間長(510mm)は、本州四国連絡橋多々羅大橋、名古屋港の名港中央大橋に次いで斜張橋として日本国内第3位、また、全長(1020m)は一面吊りの斜張橋としては世界一の長さを誇ります。

逆Y字型の主塔の高さは(海面から)183m、海面から路面までの高さは57m、車線は往復6車線で、主塔の高さ・全長共に横浜ベイブリッジを凌いでいる巨大な橋です。
昭和62年1月に着工し、平成6年12月に開通しました。
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by bridgelove | 2011-10-31 21:13 | 東北・関東の橋