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カテゴリ:北海道の橋( 20 )

昨夜は、年間240万人の観光客が訪れ「札幌の奥座敷」としても知られる、札幌近郊では有数の温泉・定山渓温泉街にある、定山渓グランドホテル瑞苑に泊まってきました。

これは、そのホテルの敷地内にあった、朱色の太鼓橋と周辺の木々の風景です。
この辺りは山間部で、札幌の市街地よりは標高が高い事もあって、紅葉はもう終わりつつある感じでしたが、紅葉が真っ盛りな時期であれば、この橋ももっと映えるのだろうなと思いました。
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ちなみに、橋は鉄製で、普段あまり使われてはいないようで、錆びている部分が多かったです。
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by bridgelove | 2014-10-22 22:28 | 北海道の橋 | Comments(0)

今月中旬、札幌に次ぐ北海道第二の都市・旭川市を中心とした一帯(北海道上川管内中央部)を旅行した際、私は、旭川市内を流れる石狩川に架かる「旭橋」を見学してきました。
この橋は、優美なアーチ曲線を描く全長225m・橋幅18mの鉄橋で、その美しくも力強い姿から旭川のシンボルとして市民から広く親しまれており、現在は同市の南北を結ぶ重要な交通路(国道40号)の一部にもなっています。
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明治25年、現在の位置に土橋が架けられたのが始まりで、明治27年、旭橋の前身である「鷹栖橋」という木橋が架橋されました。
初代旭橋が架橋されたのは明治37年で、北海道では2番目の鋼の道路橋でしたが、老朽化に伴い、昭和7年に、鋼鉄製のアーチ曲線を描く現在の旭橋が架橋されました。
ドイツから輸入した高張力鋼を使い、当時の最新技術を以て建設され、昭和31年までは、市内電車もこの橋の上を走っていました。
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戦前・戦中は、旭橋の正面には、当時旭川に設置されていた陸軍第七師団の、佐藤巳之助師団長(中将)の筆による「誠」という文字を中心に、忠節・礼儀・武勇・信義・質素の軍人勅諭網領が書かれた旭日章が掲げられており、電車が橋の上を通過する際、車掌は「気をつけ!」と号令をかけたと伝わっています。
また、旭川から戦地へと赴く軍人の多くは第七師団から旭橋を渡って出征して行き、当時は、軍都としての旭川を象徴する橋としても知られていました(そのため師団橋とも呼ばれていたそうです)。

昭和7年に竣工してから80年以上が経った今も現役の橋として使用されている程の、強靭な構造を持つ橋ですが、それは、当時の旭川が師団司令部の置かれていた軍都であった事に起因します。
戦車などの重量物の通行を可能とし、戦時には橋脚が攻撃されても崩落に耐え得る必要性から、旭橋は、当時としては考えられる限りの最新の技術を惜しみなく投入して建設されたのでした。

なお、かつてはこの旭橋と、札幌の豊平橋、釧路の幣舞橋の三橋が、道内でも特に優美な橋として「北海道三大名橋」と云われていましたが、そのうち現在も架橋当時の姿をそのまま残しているのは旭橋だけです。
現在の旭橋は、貴重な産業遺産として「北海道遺産」や「土木学会選奨土木遺産」にも選定されており、また、旧旭川偕行社(国の重要文化財)や平和通買物公園(日本初の恒久的歩行者天国)などと共に「旭川八景」のひとつにも数えられています。
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by bridgelove | 2014-02-26 19:43 | 北海道の橋 | Comments(0)

平成22年10月、私は、その年の夏に140年ぶりに五稜郭内に復元された箱館奉行所の庁舎と、平成18年に従来のタワーのほぼ2倍の高さの塔として生まれ変わった五稜郭タワーなどを見学するため、函館の五稜郭に行ってきました。

下の写真は、その際に上ってきた、地上90mの高さにある五稜郭タワーの展望階から望んだ、五稜郭の全景と、半月堡です。
半月堡とは、主堀と支堀に挟まれて島のようになっている三角形の土塁の事で、これは郭内への出入口を防御するために設置されていて、当初の設計では各稜堡間の5ヶ所に配置される予定でしたが、工事規模の縮小などから実際には正面の1ヶ所だけに造られました。
その半月堡に架かっている左側の橋が「一の橋」、奥に向かって架かっている橋が「二の橋」で、五稜郭の表門は二の橋のすぐ先にあります。
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なお、一の橋の近くに立てられていた「特別史跡五稜郭跡」の案内看板では、五稜郭について以下のように解説されていました。
五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所(しょじゅつしらべしょ)教授役で蘭学者の武田斐三郎成章(たけだあやさぶろうなりあき)により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。稜堡(りょうほ)とよばれる5つの突角が星型の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。箱館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに、幕末期の洋楽採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから、北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。

下の写真は、いずれも「一の橋」です。五稜郭の郭内へと入る場合、まずはこの橋を渡って半月堡に入ります。
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下の写真は、いずれも「二の橋」です。半月堡と五稜郭を結ぶ橋です。
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どちらの橋も風情のある木造橋で、なかなかいい味を出しています。
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by bridgelove | 2012-05-20 23:37 | 北海道の橋 | Comments(0)

白鳥大橋の絵葉書

先月室蘭に行った際、道の駅「みたら室蘭」の売店で、『白鳥大橋の四季 Photograher佐々木善昭の世界』という、白鳥大橋の絵葉書セット(12枚入り)を買ってきました。
室蘭生まれのカメラマン・佐々木善昭さんの撮影による、白鳥大橋の四季を写した絵葉書セットです。

以下に、その絵葉書の写真を紹介させて頂きます。

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▲ 測量山より
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▲ 測量山からの遠景
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▲ 測量山からの夜景
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▲ 絵鞆エンルムマリーナより
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▲ 祝津鍋島山より
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▲ 祝津鍋島山からの遠景
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▲ 祝津埠頭より
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▲ 大沢観光道路より
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▲ 南高平の高台より
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▲ 八丁平展望台より
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▲ 八丁平展望台からの夜景
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▲ 本輪西の埠頭より

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by bridgelove | 2011-11-21 01:13 | 北海道の橋 | Comments(0)

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前回の記事で書いたように、私は今週、函館に行ってきたのですが、その帰り、室蘭に立ち寄って、室蘭のランドマークにもなっている白鳥大橋(全長1,380mの自動車専用道)を渡ってきました。
白鳥大橋については、過去の記事(下記URL)でも何度か紹介させて頂きました。
http://bridgelove.exblog.jp/7817083/
http://bridgelove.exblog.jp/8283089/
http://bridgelove.exblog.jp/8740267/


今回は、白鳥大橋を走行中、初めて動画を撮影してみました。以下がその動画です。
画像が多少ブレているのは御容赦下さい。






ちなみに、以下はユーチューブでたまたま見つけた動画なのですが、白鳥大橋については、このような見方・評価もあるようです。
私も過去の記事で指摘しましたが、室蘭が今後大きな発展を遂げない限り、この橋の存在意義はいずれ大きな問題として問われる事になると思います。


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by bridgelove | 2011-10-07 18:36 | 北海道の橋 | Comments(0)

一昨日、函館市の椴法華地区(函館市に吸収合併されるまでは椴法華村だった地区)で開催された研修会に出席するため、私は函館に行ってきたのですが(仕事を休んで行ってきた訳ではないので出張の扱いです)、自宅のある札幌からは鉄道やバスではなく自分の車で行ってきたため、函館市内では少し寄り道をして、函館の湯の川から、恵山まで、海岸線に沿って国道278号を走ってきました。

そして、その道路を走行中、車窓から見えたのが、下の写真の、重厚な雰囲気を持つコンクリート製アーチ橋です。
津軽海峡を挟んで対岸に本州の下北半島がはっきりと望める、汐首岬のすぐ近くにありました。
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この8連のアーチ橋は、戸井線という、国鉄の鉄道未成線の遺構です。
戸井線の一部区間は函館市に払い下げられ、一般道、遊歩道、緑道などとして今も使われていますが、このアーチ橋とその前後の区間は、他の用途に転用される事もなく60年以上もずっと放置され続け、傷みも激しく、崩落している箇所もある事から、残念ながらこのアーチ橋は、貴重な産業遺跡や遺構というよりは、もはや単なるコンクリートの残骸といってもいいような、かなり酷い状態です。

戸井線は、昭和12年に、函館本線の五稜郭駅と、戸井町(現函館市)に建設が予定されていた戸井駅との間を結ぶ鉄道(29.2km)として建設が始まったのですが、全線の9割もの路盤を完成させていたにも拘わらず、戦争中の資材不足等により昭和18年に工事が中断されてしまいました。
戦後、北海道と本州を結ぶ青函トンネルの建設計画が具体化した時には、東ルート案(函館から東に進んで戸井町から海底下を通って下北半島へと連絡する案)では戸井線区間を通る事になっていたため戸井線の建設工事再開が期待された事もあったのですが、結局、西ルート(函館から西に進んで福島町から海底下を通って津軽半島に連絡する案)での建設が決まったため、戸井線の建設は再開される事なく、建設工事は正式に中止となってしまいました。
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上の写真は、このアーチ橋の一部を拡大した写真なのですが、御覧のように、一部が崩れています。
鉄が不足していた戦時中に建設されたため、戸井線の橋やトンネルは、木筋コンクリート製、竹筋コンクリート製などとも云われており、もともと耐久性にも問題があるのです。
もっとも、仮に鉄筋コンクリート製で、手抜きされる事なく造られていたとしても、補修される事もなく、常に海からの潮風が当たるこのような場所に半世紀以上も放置されていれば、どのみち著しい老朽化は避けられなかったでしょうが。

橋のすぐ下には民家や国道があり、しかもその国道は学生の通学路としても使われている事から、もしこの橋が、全壊とはいかなくても半壊しただけで、多数の死傷者が出る懸念があり、そのためこの橋は、完全に取り壊すか、もしくは補修した上で保存するか、早急にどちらかの方針を採る必要があると思われます。
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上の写真は、前出のアーチ橋の少し先で見つけた、別のアーチ橋で、これも戸井線の遺構のひとつです。
先程のアーチ橋に比べると規模は小さいですが、この橋のすぐ下にも民家や国道があり、やはり危険である事には変わりないです。

個人的には、補修工事を施した上で産業遺産として保存をして貰いたいですが、工事の財源や、工事の工法など、それを実現させるためのハードルは結構高そうです…。
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by bridgelove | 2011-10-05 22:57 | 北海道の橋 | Comments(0)

今月17日の早朝、札幌から車で1時間程の距離にある支笏湖に行ってきました。
支笏湖は、千歳市の支笏洞爺国立公園内にある面積78.4平方kmの、日本最北の不凍湖で、洞爺湖・摩周湖・サロマ湖などと共に北海道を代表する湖の一つです。湖としての面積は国内では8番目の大きさですが、貯水量(20.9立方km)は琵琶湖に次いで2番目、最大水深(363m)も田沢湖に次いで2番目で、近年の水質調査では透明度も摩周湖と同等を誇るとの認定を受けています。

千歳市を代表する河川である千歳川は、その支笏湖の南西部(支笏湖温泉街)を源に発し、石狩川に合流して日本海へと流れる、石狩川水系の一級河川ですが、支笏湖畔のその源流部に架かっているのが、「山線鉄橋」と称される、下の写真の歩行者専用トラス鉄橋です。
明治32年に建設されたこの橋は、北海道に現存する現役最古の橋として、日本の橋梁史においても稀少で重要な資料、近代遺産として、高い評価を受けています。
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この鉄橋は、元々はこの場所ではなく、北海道官設鉄道上川線(現在のJR函館本線)の砂川~妹背牛間にある空知川に架けられていて、当時は「第一空知川橋梁」という名の鉄道橋として使われていました。
しかし、橋の設計荷重が小さく輸送量の大幅な増加に対応できない事などから、大正12年、第一空知川橋梁は新しい橋に架け替えられ、そのため、今まで使われてきた旧第一空知川橋梁は王子製紙株式会社に払い下げられました。
その後、王子製紙は旧第一空知川橋梁を「湖畔橋」として現在の場所に移設し、当時苫小牧~支笏湖間で運行していた王子軽便鉄道(通称:山線)の鉄橋として再利用しました。王子軽便鉄道は、千歳川に建設する発電所建設資材の輸送を目的として明治41年に運行を始めた鉄道で、建設資材や製紙用原木輸送のみならず、旅行者等の輸送も行っていました。この軽便鉄道は観光客にも親しまれていましたが、元々物資運搬用の鉄道であった事から、その切符には「生命は保証の限りに非ず」と書かれていたという逸話も伝わっています。

しかし昭和26年、急速に進んだ道路整備などにより王子軽便鉄道は廃止されてしまい、それに伴い、湖畔橋も鉄道橋としての役目を終えました。
その後、昭和42年に、湖畔橋は支笏湖のシンボルとして王子製紙から千歳市に寄贈され、以降は道路橋・歩道橋として再び使わるようになりましたが、老朽化が著しい事から平成6~8年にかけて、「現地で原型保存、現役で使用」を基本構想として大規模な解体修復工事が行われました。
そして平成9年、湖畔橋は現在の状態に復元されて、歩行者専用橋の「山線鉄橋」となって現在に至ります。
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by bridgelove | 2010-10-23 05:57 | 北海道の橋 | Comments(0)

札幌の市街地を南北に貫き、札幌の中心部に扇状地を形成している豊平川(石狩川水系石狩川支流・延長72.5km)は、昔から“札幌の母なる川”として市民達から親しまれ、都会を流れる川としては珍しくサケが上がる清流として、また、河川敷で花火大会・マラソン大会などのイベントが行われる川としても知られています。
その豊平川に架かっている橋の中で、特に私が個人的に思い入れのある橋が、私の家の比較的すぐ近くにあるミュンヘン大橋と、そして、中央区南15条付近と豊平区中の島1条付近との間に架かっている「幌平橋」(ほろひらばし)です。

4代目となる現在の幌平橋は、平成7年に完成した3径間連続鋼床箱桁橋で、長さは160.6m、幅は19.0mあります。
この橋の最大の特徴は、やはり、幅が広くとられた北側歩道上(ポートランド広場)に築かれている巨大なアーチでしょう。表面が階段になっているこのアーチは、積雪により閉鎖される冬期間を除いていつでも上る事ができ、アーチの頂上からは周囲を展望する事ができます。
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▲早朝に撮影したためこの写真では車が一台も走っていませんが、日中はかなり交通量の多い橋です。
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▲アーチはこのように階段になっています。ちなみに、橋の構造としてはあくまでも桁橋であり、アーチ橋ではありません
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▲アーチ上から東側(豊平区方面)を望んだ光景です。
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▲アーチ上から上流側を望んだ光景です
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▲アーチ上から下流側(都心部)を望んだ光景です。
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by bridgelove | 2010-04-09 06:06 | 北海道の橋 | Comments(0)

先日、仕事の関係で美瑛町(北海道上川支庁管内にある、ラベンダー畑と火祭りで有名な町)に行ってきたのですが、美瑛から札幌への帰路は、ちょっと遠回りをして、美瑛→富良野→桂沢湖(三笠)→シューパロ湖(夕張)→札幌というルートを走って札幌に帰ってきました。
そして、夕張市(平成19年に「財政再建団体」に指定され、事実上財政が破綻した自治体として一躍全国的に有名になった市)内の、シューパロ湖岸の国道452号を走りながら撮影したのが、下の2枚の写真です。
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私が走ってきたこの道路と並行する形で、湖岸には延々と高架橋が建設されており(上の2枚の写真にそれぞれ写っている高架橋がそれです)、「随分と立派な高架橋だけど、でもこんな所に高速道路が建設されるなんて聞いてないけどなぁ。この道路、いったいなんだろ?」と不思議に思っていたのですが、たまたま、沿道にあった「夕張シューパロダム インフォメーションセンター」でトイレ休憩をした際にそこで見てきたパネルやチラシによると、私がこの時走ってきた道路は、平成25年に完成する予定の夕張シューパロダム(洪水調節・流水の正常な機能維持・灌漑用水・水道用水・発電などを目的としたダムで、大きさは現在運用中の大夕張ダムの約1.5倍)が運用されると水没してしまうらしく、建設されていた高架橋は、そのための付け替え道路なんだそうです。

ちなみに、夕張シューパロダムの上流すぐ155mの地点に位置している大夕張ダムも、夕張シューパロダムが運用開始されると63年間に亘ったダムの役割を終えて水没する事になり、かつて大夕張ダムの完成により出現したダム湖のシューパロ湖は、夕張シューパロダムの運用により、現在よりも水位が約40mも上昇して更に巨大な湖(現在の約5倍の面積、人造湖としては朱鞠内湖に次いで日本第2位)になります。

ところが、この写真を撮影した数日後、私が走ってきた道路も大夕張ダムも、急に、どちらも水没しない可能性が出てきました。
筋金入りの“脱ダム派”である前原誠司国土交通相が、マニュフェスト(政権公約)として強力に推し進めている全国143のダム事業見直し(中止するか、建設・整備を継続するかを判断する対象)に、夕張シューパロダムも含まれている事が発表されたからです。
夕張シューパロダムの工事そのものは、既に折り返し地点を越えて終盤に近付きつつある状況であり(付け替え道路もほぼ完成しています)、今後どうなるのかはまだ分かりませんが、もしかすると、このまま工事が中止されるという可能性も出てきたのです。
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上の写真に写っている3本の橋梁は、私が走ってきた国道の対岸(シューパロ湖東岸)にあった、下夕張森林鉄道線夕張岳線廃線跡(昭和38年に廃止)の橋梁群です。
この橋も、夕張シューパロダムが計画通り完成し場合は水没する事になります。
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上の写真は、大夕張ダムや現在建設工事中の夕張シューパロダムのすぐ近くに架橋されている、かつて同森林鉄道が走っていた「第1号橋梁」というトラス橋で、一般にはその形状から「三弦橋」(さんげんきょう)という俗称で親しまれています。
シューパロ湖を跨いで東西両岸を結んでいる全長380.8m(支間1×39.0m、1×77.0m、5×52.08mの7連)のこの鉄道単線橋は、全国の森林鉄道の橋梁では他に例がない長大橋であり、また、四角錘を並べて頂点を結び断面が二等辺三角形になっている、かなり特異な形式のトラス橋でもあり、現存する鉄道専用橋としてこの形式が採用されているトラス橋は世界的にも希で、橋梁工学的にも極めて貴重な橋とされています。

この三弦橋の独特な構造美がシューパロ湖の周辺景観に与える影響は高く評価されており、シューパロ湖の湖面を低く横切るその美しい外観は、かつて地元の大夕張郵便局(既に廃局されています)の風景印にも使用され、地域の象徴的存在とされてきましたが、夕張シューパロダムが計画通り完成し場合は、残念ながらこの橋も水没する事になります。
この橋の水没を惜しむ土木技術者や産業遺産研究者、地元関係者などにより、三弦橋の保存や活用の道はないかと議論がされてきましたが、具体的対策がない事から同橋が消滅するのはほぼ確定していたのですが、前述のようにダム建設工事が凍結される可能性が高まってきたため、もしかすると現状のまま保存されるという可能性も出てきました。
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by bridgelove | 2009-10-12 05:52 | 北海道の橋 | Comments(0)

今月7日の記事で詳しく報告させて頂いたように、私は先日、小樽市にある小樽運河やその周辺を見学するなどしてきたのですが、運河周辺を散策した後は、運河からは少し離れた同市手宮にある小樽市総合博物館に行ってきました。

同博物館の施設や展示品は、昭和37年に当時の国鉄により開設された北海道鉄道記念館、及び北海道鉄道記念館の後身である小樽交通記念館のものをそのまま活用しているため、展示物全体の中では特に鉄道関連のものが圧倒的な比率を占めており、そのため鉄道ファンにとっては所謂“聖地”のような場所になっています。

そもそも同博物館がある場所は、新橋~横浜間、京都~神戸間に次ぐ国内3番目の鉄道として明治13年に開業した北海道最古の鉄道「官営幌内鉄道」(手宮~札幌間)の旧手宮駅構内であり、そこは北海道の鉄道発祥の地ともいえる場所なのです。
そういった事情もあり、同博物館では幌内鉄道に関する展示がかなり多いのですが、それらの中でも私が特に興味を抱いたのは、幌内鉄道の橋梁建設をリアルに再現した模型でした。
下の写真がその模型で、恐らく、小樽市入船にあった陸橋だと思います。
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日本で初めて開業した鉄道・新橋~横浜間は全てイギリスの技術により建設されましたが、それに対して幌内鉄道は、アメリカ人技師ホーレス・ケプロン(北海道開拓使顧問)の指導の下、全てアメリカの技術により建設されたため、この陸橋もアメリカの開拓鉄道に準じた形式の木製橋梁となったようです。
以下の各写真は、上の写真の模型各部を拡大したものです。
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重機などの建築機械が一切使われていなかった明治前期の鉄道橋梁建設の様子が窺える、大変興味深い模型です。
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by bridgelove | 2009-07-12 06:33 | 北海道の橋 | Comments(0)