箱館戦争の舞台となった五稜郭に架かる、二本の木造橋

平成22年10月、私は、その年の夏に140年ぶりに五稜郭内に復元された箱館奉行所の庁舎と、平成18年に従来のタワーのほぼ2倍の高さの塔として生まれ変わった五稜郭タワーなどを見学するため、函館の五稜郭に行ってきました。

下の写真は、その際に上ってきた、地上90mの高さにある五稜郭タワーの展望階から望んだ、五稜郭の全景と、半月堡です。
半月堡とは、主堀と支堀に挟まれて島のようになっている三角形の土塁の事で、これは郭内への出入口を防御するために設置されていて、当初の設計では各稜堡間の5ヶ所に配置される予定でしたが、工事規模の縮小などから実際には正面の1ヶ所だけに造られました。
その半月堡に架かっている左側の橋が「一の橋」、奥に向かって架かっている橋が「二の橋」で、五稜郭の表門は二の橋のすぐ先にあります。
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なお、一の橋の近くに立てられていた「特別史跡五稜郭跡」の案内看板では、五稜郭について以下のように解説されていました。
五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所(しょじゅつしらべしょ)教授役で蘭学者の武田斐三郎成章(たけだあやさぶろうなりあき)により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。稜堡(りょうほ)とよばれる5つの突角が星型の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱館奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武揚率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。箱館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに、幕末期の洋楽採用の一端を示すものとして学術上きわめて価値が高いことから、北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。

下の写真は、いずれも「一の橋」です。五稜郭の郭内へと入る場合、まずはこの橋を渡って半月堡に入ります。
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下の写真は、いずれも「二の橋」です。半月堡と五稜郭を結ぶ橋です。
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どちらの橋も風情のある木造橋で、なかなかいい味を出しています。
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by bridgelove | 2012-05-20 23:37 | 北海道の橋