完成前に放棄された国鉄戸井線のアーチ橋

一昨日、函館市の椴法華地区(函館市に吸収合併されるまでは椴法華村だった地区)で開催された研修会に出席するため、私は函館に行ってきたのですが(仕事を休んで行ってきた訳ではないので出張の扱いです)、自宅のある札幌からは鉄道やバスではなく自分の車で行ってきたため、函館市内では少し寄り道をして、函館の湯の川から、恵山まで、海岸線に沿って国道278号を走ってきました。

そして、その道路を走行中、車窓から見えたのが、下の写真の、重厚な雰囲気を持つコンクリート製アーチ橋です。
津軽海峡を挟んで対岸に本州の下北半島がはっきりと望める、汐首岬のすぐ近くにありました。
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この8連のアーチ橋は、戸井線という、国鉄の鉄道未成線の遺構です。
戸井線の一部区間は函館市に払い下げられ、一般道、遊歩道、緑道などとして今も使われていますが、このアーチ橋とその前後の区間は、他の用途に転用される事もなく60年以上もずっと放置され続け、傷みも激しく、崩落している箇所もある事から、残念ながらこのアーチ橋は、貴重な産業遺跡や遺構というよりは、もはや単なるコンクリートの残骸といってもいいような、かなり酷い状態です。

戸井線は、昭和12年に、函館本線の五稜郭駅と、戸井町(現函館市)に建設が予定されていた戸井駅との間を結ぶ鉄道(29.2km)として建設が始まったのですが、全線の9割もの路盤を完成させていたにも拘わらず、戦争中の資材不足等により昭和18年に工事が中断されてしまいました。
戦後、北海道と本州を結ぶ青函トンネルの建設計画が具体化した時には、東ルート案(函館から東に進んで戸井町から海底下を通って下北半島へと連絡する案)では戸井線区間を通る事になっていたため戸井線の建設工事再開が期待された事もあったのですが、結局、西ルート(函館から西に進んで福島町から海底下を通って津軽半島に連絡する案)での建設が決まったため、戸井線の建設は再開される事なく、建設工事は正式に中止となってしまいました。
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上の写真は、このアーチ橋の一部を拡大した写真なのですが、御覧のように、一部が崩れています。
鉄が不足していた戦時中に建設されたため、戸井線の橋やトンネルは、木筋コンクリート製、竹筋コンクリート製などとも云われており、もともと耐久性にも問題があるのです。
もっとも、仮に鉄筋コンクリート製で、手抜きされる事なく造られていたとしても、補修される事もなく、常に海からの潮風が当たるこのような場所に半世紀以上も放置されていれば、どのみち著しい老朽化は避けられなかったでしょうが。

橋のすぐ下には民家や国道があり、しかもその国道は学生の通学路としても使われている事から、もしこの橋が、全壊とはいかなくても半壊しただけで、多数の死傷者が出る懸念があり、そのためこの橋は、完全に取り壊すか、もしくは補修した上で保存するか、早急にどちらかの方針を採る必要があると思われます。
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上の写真は、前出のアーチ橋の少し先で見つけた、別のアーチ橋で、これも戸井線の遺構のひとつです。
先程のアーチ橋に比べると規模は小さいですが、この橋のすぐ下にも民家や国道があり、やはり危険である事には変わりないです。

個人的には、補修工事を施した上で産業遺産として保存をして貰いたいですが、工事の財源や、工事の工法など、それを実現させるためのハードルは結構高そうです…。
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by bridgelove | 2011-10-05 22:57 | 北海道の橋 | Comments(0)