商都小樽の繁栄を支えてきた小樽運河

昨日、私は札幌の隣街・小樽を散策し、小樽運河周辺を歩いてきました。
小樽運河は大正12年に開通し、かつては道内一の繁栄を誇った港町・小樽の経済を支えてきた運河です。

小樽は明治初頭以来、海岸の埋め立て工事を繰り返しながら港が形造られてきたのですが、この運河は内陸に水路を掘ったものではなく、埋め立て地の間に水路を残す事によってできた「埋立て式運河」で、往時は多くの船が行き交い、また、各所に艀(はしけ)舟が係留されて貨物の荷揚げが行われ、商業の街、物流の拠点として発展していった小樽の礎となった運河です。
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小樽の産業はニシン漁から始まり、明治末期には最も漁獲があり、それ以降は次第に少なくなってきたものの、ニシン漁で経済力をつけていった小樽は北海道開拓の玄関となった事もあって(最盛期の小樽は人口も街の規模も札幌を凌ぐ道内随一の都市でした)、海陸産物の集散地として繁栄するようになり、大正時代には運河沿いの倉庫群に豆などの雑穀をぎっしりと蓄え世界の相場に影響を与えるまでになりました。
しかし戦後になると、人力で荷揚げする方式が衰退していった事や、樺太等との交易が無くなったため物流の拠点としての機能が急速に廃れていった事、大規模な空港施設のある千歳や対規模な港湾施設のある苫小牧などに北海道の物流の拠点が移っていった事などから、小樽運河は全く使用されなくなり、そのまま放置されていたため一時はヘドロが溜まって悪臭が漂うまで環境が悪化したのですが、その後、運河全面埋め立て派と全面保存派の対立などの紆余曲折を経て、一部は埋め立てられたものの小樽運河は観光スポットとして整備されていき、平成8年には「都市景観100選」に選ばれました。

現在の小樽運河は、船が航行する事はもうなく運河としての機能は果たしていませんが、小樽を代表する風情ある観光スポットとして、運河周辺は常に観光客らで賑わい、運河に沿って続く石畳の道やガス灯、煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群は、港町情緒が味わえる小樽を代表する風景になっています。
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上の地図が、その小樽運河と、今回私が見てきた、小樽運河に架橋されていた4本の橋の位置を示すものです。どの橋も小樽駅からは徒歩圏内にあります。
ちなみに運河周辺は、京都の嵐山、鎌倉、函館などと同様、観光客向けに多くの人力車が走っているので、時間とお金に余裕のある人は、人力車に乗って運河周辺を散策するのも面白いかもしれません。
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上の写真は竜宮橋です。
この橋のある道路を海とは反対の方向に真っ直ぐ南下していくと、榎本武揚(戊辰戦争で旧幕府軍を率いた人物の一人で、後に明治政府に仕えて北海道の開拓や外交などに尽力しました)が創建したという由緒のある竜宮神社に突き当たります。
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上の写真は、小樽運河と海を結ぶ水路に架かっている月見橋です。
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上の写真は、中央通にある中央橋です。この道路を、海とは反対の方向に真っ直ぐ南下していくと、小樽駅に突き当たります。
この橋と浅草橋との間が、小樽運河の中でも特に風情ある情景を醸し出しています。
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上の写真は、小樽運河の東端部に架かる浅草橋です。
小樽運河はここから直角に曲がって於古発川となり、寿司屋通の中央を暫く流れた後、暗渠になります(但し暗渠部の方が土地が高いため、水の流れはこの説明とは逆で、於古発川から運河に向かって流れています)。
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by bridgelove | 2009-07-07 06:30 | 北海道の橋 | Comments(0)