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2012年 01月 01日
![]() 昨年は東日本大震災という未曽有の災害により、特に東北地方の太平洋沿岸部で甚大な被害が発生し、地震や津波により被災地では多くの橋が崩落・流失するなどしました。 阪神・淡路大震災に於いて、阪神高速道路や阪神間の鉄道など各路線の高架橋が崩落した写真・映像を見た時は大変大きな衝撃を受けましたが、私達はあれから17年の時を経て、図らずもまたそれと同等の衝撃を受ける事になってしまいました。 しかし、例え跡形もなく崩れ落ちてしまったとしても、橋はまた元通りに、場合によっては更に立派な物として再建する事が可能ですが、震災により失われてしまった尊い人命は、もう永久に還ってはきません。15,843人という、この度の震災での犠牲者の数の多さ(平成23年12月22日警察庁発表)の前には、その悲しみは言葉に表現する事さえ困難で、私としてはただただ頭を垂れ、哀悼の誠を捧げる事くらいしかできませんでした。 こういった筆舌に尽くし難い悲しみを胸に、新年の年頭に当たって私は、今なお不自由な生活を余儀なくされている多くの被災者の方々に一日も早く平穏な日々が訪れます事を御祈念申し上げるとともに、微力ながら、私も震災の復興に尽力してくしていく決意をここに改めて表明させて頂きます。 写真は、昨年7月に三重県伊勢市で撮影してきた、同市内を流れる五十鈴川に架かる全長約102mの宇治橋です。 所謂伊勢神宮の“表玄関”として機能しているこの美しい木造橋は、20年毎に解体と再建(熟練工達が伝統技法の粋を尽くして新橋を建設)を繰り返しながら、常に再生を続け、20年周期で新しく生まれ変わっている事から、本年が日本再生の年となる事を祈念して、その再生の象徴としてここに宇治橋の写真を貼付させて頂きます。 本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。 平成二十四年 西暦二千十二年 元旦 2011年 12月 27日
今月中旬、私は、2泊3日の日程で宮城県内を旅行してきたのですが、3日目には、仙台市内在住の友人の案内により、同市若林区の荒浜地区に行ってきました。
荒浜地区は、今年3月11日に発生した東日本大震災では高さ10mもの巨大津波に飲み込まれ、仙台市内に於いては特に壊滅的な被害を受けた地区です。 今回、私があえて荒浜地区に行ってきたのは、この度の大震災や大津波とはどういったものであったのか、テレビやネットなどで得られる情報だけではそれはどうしても実感としては伝わりきらない部分があるので、直接現地に赴く事で、自分の目や肌によりそれを直に感じてみたかったからです。 また、防災や消防に関わる自治体の消防団員(もし札幌で大震災が発生したとしたら間違いなく出動する事になるであろう立場)としても、そして、この大震災の現実を後世に語り継いでいくためにも、被災地を直接訪問する事は私にとって必要な事であろうと思ったのです。 そのため、被災地を訪れるというのは、私にとっては今回の旅行の重要な目的の一つでした。 私が見てきた限りでは、現在の荒浜地区(主に海側)は、住んでいる人はほぼ皆無で、残念ながらコミュニティーとしてはほぼ全滅してしまっていました。 一部を除いて、瓦礫だけはほとんど撤去されていましたが、津波が押し寄せるまでは住宅街であったにも拘わらず今では家は全く残っておらず(荒浜小学校の校舎と体育館以外、建物らしき物はほとんど現存していません)、しかし、建物は無くても家の土台(基礎)だけは残っているので、かつてここが住宅地であったという痕跡はしっかりと残されており、そこにあったであろう家やその家に住んでいた人達が津波で流されてしまった事を思うと、胸が締め付けられるような思いがしました…。 以下は、荒浜地区を流れる貞山堀(ていざんぼり)という運河と、そこに架かっていた橋の写真です。 貞山堀は、海岸と垂直方向に流れている水路ではなく、かなりの長い距離を海岸と並行して直線に流れている水路で、そのため、押し寄せた津波や引き寄せた津波に飲みこまれて瓦礫と化した様々な物は、大きな溝となっているこの水路に集中して蓄積され、震災から9カ月経った今では普通に水が流れていますが、震災の直後、この水路は津波により流された無数の車でほぼ完全に埋まっていたそうです。 ![]() ![]() 下の写真は、貞山堀のすぐ近くで撮影した、かつて住宅が建ち並んでいた場所です。 津波に襲われる前は一戸建ての住宅がこの地に軒を連ねていたそうですが、御覧のように今は住宅の基礎部分が残るのみです。 住宅の跡地にはお花が供えられているところもあり、そういった光景を見ると、確実にここで人が亡くなったのだという事をリアルに実感させられます。ここではこのような光景が延々と続いていました…。 ![]() この写真は、クリックすると拡大表示されるので、是非拡大の上御覧下さい。海岸と並行している貞山堀の流れ方や、津波により壊滅してしまったその周辺の様子などがよく分かるかと思います。 ちなみに、右ページに写っている橋が、この記事の1枚目の写真で柵だけが写っている手前側の橋で、左ページの右端に写っている橋が、この記事の1枚目や2枚目の写真に写っている、柵が一部破損している橋です。 ![]() 今回、私は荒浜地区を歩いてきて、この現実は決して風化させてはいけない、この大震災をきっちりと後世に語り継いでいく事こそが、生き残った人達や、災難を免れた私達の責務だな、と強く思いました。 2011年 12月 09日
「どうしようもなく疲弊したときに読んで欲しい、脱力満点な国内外の情報を編集部総力あげて真剣にお伝えする、脱力ライフ提案サイト」を名乗っている「Pouch[ポーチ]」というニュースサイトで、先月28日に、『モーゼの十戒みたいな橋がオランダにあった!渡ってみたいぞ』という記事(以下のURL)が配信されたのですが、この記事では、まるで水面を割って人が歩いているように見える橋が紹介されています。
http://youpouch.com/2011/11/28/44540/ なんとも不思議な、実に面白い橋です! 是非渡ってみたい橋ですが、数センチでも水位が上がると水没するのは確実なので、実用性は完全に無視している橋ともいえます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 2011年 11月 21日
先月室蘭に行った際、道の駅「みたら室蘭」の売店で、『白鳥大橋の四季 Photograher佐々木善昭の世界』という、白鳥大橋の絵葉書セット(12枚入り)を買ってきました。
室蘭生まれのカメラマン・佐々木善昭さんの撮影による、白鳥大橋の四季を写した絵葉書セットです。 以下に、その絵葉書の写真を紹介させて頂きます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2011年 10月 31日
前回の記事で書いたように、私は今月中旬、東京方面を旅行してきたのですが、旅行2日目の早朝は、横浜市にあるJR鶴見駅から鶴見線(横浜市と川崎市に跨って京浜工業地帯の臨海部を走る路線)の電車に乗って、同線の支線の終点・海芝浦駅に行ってきました。
下の写真は、その海芝浦駅のホームから眺めてきた、三径間連続鋼斜張橋の「鶴見つばさ橋」です。 ![]() 中央径間長(510mm)は、本州四国連絡橋の多々羅大橋、名古屋港の名港中央大橋に次いで斜張橋として日本国内第3位、また、全長(1020m)は一面吊りの斜張橋としては世界一の長さを誇ります。 逆Y字型の主塔の高さは(海面から)183m、海面から路面までの高さは57m、車線は往復6車線で、主塔の高さ・全長共に横浜ベイブリッジを凌いでいる巨大な橋です。 昭和62年1月に着工し、平成6年12月に開通しました。 2011年 10月 25日
今月中旬、私は2泊3日の日程で東京方面を旅行してきたのですが、折角なので、都内の橋もいくつか見学してきました。
それらの橋の中でも特に私の印象に残ったのは、旅行2日目に見学してきた、東京都中央区の日本橋川(神田川の支流で、神田川から分流し隅田川に合流する、都心を流れる延長約4kmの一級河川)に架かっている、橋長49m・全幅27mの「日本橋」です。 決して大きな橋ではありませんが、日本の道路網の基点になっている事から昔から東京を代表する橋のひとつに数えられている橋で、JR東京駅の八重洲口から歩いて、この橋を見学しに行ってきました。 ![]() ![]() ![]() ![]() とはいえ、高度経済成長期に急速に整備された首都高速道路が用地買収の手間を省くため水路の上空に沿って建設された事から、現在の日本橋は首都高速にすっぽりと覆われてしまっており、残念ながらその景観にはあまり風情は感じられません。 しかし、江戸時代の日本橋は、江戸の中でも特に賑やかな場所としてよく風景画の題材にされ、浮世絵などにも多く描かれました。 ちなみに、五街道の中でも最も重要な街道とされた東海道の起点は、前述のようにこの日本橋ですが、終点は、一昨年3月18日付の記事で紹介させて頂いた、京都の三条大橋です。 安藤(歌川)広重の代表作として知られる浮世絵木版画の連作「東海道五十三次」でも、一番最初の絵は日本橋で、一番最後の絵は三条大橋となっています。 ![]() 明治になってからも、東京の道路の始点は江戸時代を踏襲して日本橋とされ、ここに道路元標が設置されました。 下の写真は、その道路元標を更に拡大したもので、このプレートに刻まれている文字は、時の総理大臣 佐藤栄作氏による書です。 なお、道路元標は日本橋北詰の歩道側にも設置されていますが、歩道のほうにあるのはレプリカで、本物はこの写真に写っている、車道にあるほうです。 ![]() 2011年 10月 07日
![]() 白鳥大橋については、過去の記事(下記URL)でも何度か紹介させて頂きました。 http://bridgelove.exblog.jp/7817083/ http://bridgelove.exblog.jp/8283089/ http://bridgelove.exblog.jp/8740267/ 今回は、白鳥大橋を走行中、初めて動画を撮影してみました。以下がその動画です。 画像が多少ブレているのは御容赦下さい。 ▼ 白鳥大橋走行中の正面展望風景(陣屋→祝津) http://www.youtube.com/watch?v=1vwtimzikf0 ▼ 白鳥大橋走行中の正面展望風景(祝津→陣屋) http://www.youtube.com/watch?v=yTcbb6x6fN4 ちなみに、以下はユーチューブでたまたま見つけた動画なのですが、白鳥大橋については、このような見方・評価もあるようです。 私も過去の記事で指摘しましたが、室蘭が今後大きな発展を遂げない限り、この橋の存在意義はいずれ大きな問題として問われる事になると思います。 http://www.youtube.com/watch?v=c7bkq94A_34
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