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2012年 03月 25日
先月、信仰と眺望の霊山として、また観梅の名所として知られる、愛知県岡崎市に鎮座する岩津天満宮をお参りして来ました。
下の写真は、その岩津天満宮の、二の鳥居をくぐったすぐ先にある太鼓橋です。 ![]() ![]() ![]() ![]() 橋の傍らに掲げられている看板には、「御神橋は神様がお渡りになる大切な橋です。この橋を渡ってお参りすると、縁起が良く、ご利益を得られると言われています。足元に気をつけてゆっくりとお渡り下さい」と記されていました。 また、岩津天満宮のホームページには、「岩津天満宮のご参拝は鳥居をくぐり神橋を渡ることで、天神様のさらなる御加護を頂くことができます。神橋の欄干の左右には願掛け撫で牛が鎮座しています。願いごとを唱えながら牛を撫で、そして天神山頂上の境内まで石段をお登りください」と記されています。 ※ 下記の文章は、このブログやこの記事とは全く関係ありません。別のブログで行われているある企画に連動して書かれているものなので、その企画を関知されていない方はスルーして下さい。 【6】 体調管理に万全を期しつつ、この4月を乗り切りたいと思います。 2012年 03月 10日
三重県伊勢市を流れる五十鈴川に架かる、内宮(伊勢の神宮で最も神聖とされる神域)へと通じる宇治橋については、過去の記事でも何度か紹介しましたので(以下の各記事参照)、ここでは詳しい解説は割愛しますが、私は先月伊勢に行く機会があったので、再びこの橋を渡って内宮へお参りに行ってきました。
http://bridgelove.exblog.jp/7813516/ http://bridgelove.exblog.jp/11926662/ http://bridgelove.exblog.jp/15157886/ 以下は、今回私が撮ってきた宇治橋の写真です。 今回は橋の各所をじっくりと見学してきました。御神域の入口に相応しい、常に清々しい雰囲気が感じられる木造和橋です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2012年 02月 28日
私は先週、研修のため三重県の伊勢に行ってきたのですが、折角の機会なので、伊勢に向う途中、空き時間を利用して京都にも立ち寄って来ました。
京都では、JR京都駅から、京阪本線の七条駅まで歩いたのですが、その際、塩小路橋から撮影したのが、下の写真の七条大橋です。この橋は鴨川に架かる橋で、同じく鴨川に架かる、平成21年3月18日付の記事で紹介した三条大橋より、もっと下流にあります。 ![]() 現在の七条大橋は、京都市電の開業を見据えて、市電の荷重に耐えられる頑丈なアーチ橋として明治44年11月に起工し、大正2年3月に竣工しました。 「RC充腹アーチ」と呼ばれるこのアーチ橋は、黎明期のRCアーチの中でも群を抜いて巨大な橋で、橋長は81.9m、幅員は17.8mあり、鴨川に架かる現存する橋の中ではもっとも古い橋と云われています。 京都駅方面から東に進んで七条大橋を渡ると、橋を渡ってすぐの場所に三十三間堂、智積院、妙法院、京都国立博物館などがありますから、京都市民のみならず、市外から京都を訪れる観光客などにも馴染みのある橋として知られています。 ![]() ちなみに、七条大橋の高欄は、戦時中の金属供出により一度撤去され、その後木製やコンクリート製に替えられました。昭和61年にリニューアルされた現在の欄干は、三十三間堂の「通し矢」をモチーフにしたデザインとなっています。 2012年 02月 17日
ほぼ一年前の昨年2月、2泊3日の旅程で東京・千葉方面を旅行した際、東京都江東区富岡の八幡掘遊歩道を歩いていてたまたま見つけたのが、遊歩道脇に陸揚げされて保存・展示されていたこの「旧新田橋」です。
この橋の概要については、橋のすぐ近くに立てられていた看板に詳しく書かれていたので、以下にその看板の写真をそのまま掲載します。この写真は、クリックすると拡大表示されるので更に読みやすくなります。 ![]() 下の写真3枚が、この橋の現在(平成23年2月)の状況です。このように、本来の場所から遊歩道脇の芝生へと移動させた上で保存・展示されていました。 ちなみに、1枚目の写真で左奥に小さく見える赤いアーチ橋は、国の重要文化財に指定されている「八幡橋」です。 ![]() ![]() ![]() 2012年 01月 01日
![]() 昨年は東日本大震災という未曽有の災害により、特に東北地方の太平洋沿岸部で甚大な被害が発生し、地震や津波により被災地では多くの橋が崩落・流失するなどしました。 阪神・淡路大震災に於いて、阪神高速道路や阪神間の鉄道など各路線の高架橋が崩落した写真・映像を見た時は大変大きな衝撃を受けましたが、私達はあれから17年の時を経て、図らずもまたそれと同等の衝撃を受ける事になってしまいました。 しかし、例え跡形もなく崩れ落ちてしまったとしても、橋はまた元通りに、場合によっては更に立派な物として再建する事が可能ですが、震災により失われてしまった尊い人命は、もう永久に還ってはきません。15,843人という、この度の震災での犠牲者の数の多さ(平成23年12月22日警察庁発表)の前には、その悲しみは言葉に表現する事さえ困難で、私としてはただただ頭を垂れ、哀悼の誠を捧げる事くらいしかできませんでした。 こういった筆舌に尽くし難い悲しみを胸に、新年の年頭に当たって私は、今なお不自由な生活を余儀なくされている多くの被災者の方々に一日も早く平穏な日々が訪れます事を御祈念申し上げるとともに、微力ながら、私も震災の復興に尽力してくしていく決意をここに改めて表明させて頂きます。 写真は、昨年7月に三重県伊勢市で撮影してきた、同市内を流れる五十鈴川に架かる全長約102mの宇治橋です。 所謂伊勢神宮の“表玄関”として機能しているこの美しい木造橋は、20年毎に解体と再建(熟練工達が伝統技法の粋を尽くして新橋を建設)を繰り返しながら、常に再生を続け、20年周期で新しく生まれ変わっている事から、本年が日本再生の年となる事を祈念して、その再生の象徴としてここに宇治橋の写真を貼付させて頂きます。 本年も何卒一層の御指導・御鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。 平成二十四年 西暦二千十二年 元旦 2011年 12月 27日
今月中旬、私は、2泊3日の日程で宮城県内を旅行してきたのですが、3日目には、仙台市内在住の友人の案内により、同市若林区の荒浜地区に行ってきました。
荒浜地区は、今年3月11日に発生した東日本大震災では高さ10mもの巨大津波に飲み込まれ、仙台市内に於いては特に壊滅的な被害を受けた地区です。 今回、私があえて荒浜地区に行ってきたのは、この度の大震災や大津波とはどういったものであったのか、テレビやネットなどで得られる情報だけではそれはどうしても実感としては伝わりきらない部分があるので、直接現地に赴く事で、自分の目や肌によりそれを直に感じてみたかったからです。 また、防災や消防に関わる自治体の消防団員(もし札幌で大震災が発生したとしたら間違いなく出動する事になるであろう立場)としても、そして、この大震災の現実を後世に語り継いでいくためにも、被災地を直接訪問する事は私にとって必要な事であろうと思ったのです。 そのため、被災地を訪れるというのは、私にとっては今回の旅行の重要な目的の一つでした。 私が見てきた限りでは、現在の荒浜地区(主に海側)は、住んでいる人はほぼ皆無で、残念ながらコミュニティーとしてはほぼ全滅してしまっていました。 一部を除いて、瓦礫だけはほとんど撤去されていましたが、津波が押し寄せるまでは住宅街であったにも拘わらず今では家は全く残っておらず(荒浜小学校の校舎と体育館以外、建物らしき物はほとんど現存していません)、しかし、建物は無くても家の土台(基礎)だけは残っているので、かつてここが住宅地であったという痕跡はしっかりと残されており、そこにあったであろう家やその家に住んでいた人達が津波で流されてしまった事を思うと、胸が締め付けられるような思いがしました…。 以下は、荒浜地区を流れる貞山堀(ていざんぼり)という運河と、そこに架かっていた橋の写真です。 貞山堀は、海岸と垂直方向に流れている水路ではなく、かなりの長い距離を海岸と並行して直線に流れている水路で、そのため、押し寄せた津波や引き寄せた津波に飲みこまれて瓦礫と化した様々な物は、大きな溝となっているこの水路に集中して蓄積され、震災から9カ月経った今では普通に水が流れていますが、震災の直後、この水路は津波により流された無数の車でほぼ完全に埋まっていたそうです。 ![]() ![]() 下の写真は、貞山堀のすぐ近くで撮影した、かつて住宅が建ち並んでいた場所です。 津波に襲われる前は一戸建ての住宅がこの地に軒を連ねていたそうですが、御覧のように今は住宅の基礎部分が残るのみです。 住宅の跡地にはお花が供えられているところもあり、そういった光景を見ると、確実にここで人が亡くなったのだという事をリアルに実感させられます。ここではこのような光景が延々と続いていました…。 ![]() この写真は、クリックすると拡大表示されるので、是非拡大の上御覧下さい。海岸と並行している貞山堀の流れ方や、津波により壊滅してしまったその周辺の様子などがよく分かるかと思います。 ちなみに、右ページに写っている橋が、この記事の1枚目の写真で柵だけが写っている手前側の橋で、左ページの右端に写っている橋が、この記事の1枚目や2枚目の写真に写っている、柵が一部破損している橋です。 ![]() 今回、私は荒浜地区を歩いてきて、この現実は決して風化させてはいけない、この大震災をきっちりと後世に語り継いでいく事こそが、生き残った人達や、災難を免れた私達の責務だな、と強く思いました。 2011年 12月 09日
「どうしようもなく疲弊したときに読んで欲しい、脱力満点な国内外の情報を編集部総力あげて真剣にお伝えする、脱力ライフ提案サイト」を名乗っている「Pouch[ポーチ]」というニュースサイトで、先月28日に、『モーゼの十戒みたいな橋がオランダにあった!渡ってみたいぞ』という記事(以下のURL)が配信されたのですが、この記事では、まるで水面を割って人が歩いているように見える橋が紹介されています。
http://youpouch.com/2011/11/28/44540/ なんとも不思議な、実に面白い橋です! 是非渡ってみたい橋ですが、数センチでも水位が上がると水没するのは確実なので、実用性は完全に無視している橋ともいえます。 ![]() ![]() ![]() ![]()
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